「やりきりました」と言った羽生結弦の表情は、どこか晴れやかだった。

フィギュアスケート男子シングル、3連覇は逃した。唯一追い求めた4回転半も成功には届かなかった。思い描いた通りにこそならなかったが、その表情は決して暗いだけではなかった。

五輪の女神に愛されてきた。14年ソチ大会はパトリック・チャン(カナダ)に競り勝ち、18年平昌大会はケガから奇跡の復活優勝を遂げた。実力はもちろんだが、少なからず「運」もあったはず。競技人生には苦悩もあっただろうが、成績だけをみれば、五輪で「持っている」選手だった。

しかし、今回は「運」がなかった。SPを普通に終えられれば、結果は違ったかも。4回転半にも成功して、3連覇していたかもしれない。ただ、いろいろなことを考えると「勝たなくてよかった」とも思える。

羽生と同じように体操個人総合で五輪3連覇を目指した内村航平は、引退会見で「金メダルよりもリオから東京を目指した4年間が宝物」と答えた。勝ち続けることができなくなって苦しんだことこそが、貴重な財産だというのだ。

日本選手最多8個の金メダルを持つ体操の加藤沢男さんは「一番は(個人総合3連覇を逃した)76年モントリオールの銀メダル」と話す。「負けて初めて、勝てるのは負ける選手がいるからと思えた。あの負けがなければ、嫌な男になっていたよ」と笑った。4連覇に挑んで失敗したレスリング女子の吉田沙保里さんも同じことを言った。国民栄誉賞を受賞した後に挑んだ五輪。国民の期待に応えることはできなかったかもしれないが、今は「負けを知れてよかった」と話す。

我々には考えもつかないが、勝ち続けた先人たちが口にするのは「負けることの大切さ」だ。「その後の長い人生で、必ず意味を持ってくる」と。今後どういう道に進むのかは分からないが、どの道でも「金メダルをとった五輪」と「思い通りにならなかった五輪」の経験はきっと生きる。

4回転半成功で3連覇は確かに素晴らしい。限りなく大きな感動を我々に与えてくれたはずだ。ただ、最後まであきらめず、真摯(しんし)に4回転半に挑戦し続けた姿も、素晴らしかった。成功することと同じくらい、いや、もしかしたらそれ以上に見ている者の心に残る。【荻島弘一】

(ニッカンスポーツ・コム/記者コラム「OGGIのOh! Olympic」)

男子フリーの演技を終え、あいさつする羽生(撮影・菅敏)
男子フリーの演技を終え、あいさつする羽生(撮影・菅敏)
男子フリーを終え、手で顔を覆いキスアンドクライに向かう羽生(撮影・菅敏)
男子フリーを終え、手で顔を覆いキスアンドクライに向かう羽生(撮影・菅敏)
フィギュアスケート 男子フリーで演技する羽生(撮影・菅敏)
フィギュアスケート 男子フリーで演技する羽生(撮影・菅敏)