札幌市内、路肩の雪山で一心不乱に遊ぶ男の子がいた。「学校始まっているのねえ」と車中から不思議に思ってその子を見ると、「うちの子じゃないか」と父親が驚いた。

そんな小学生時代のエピソードを懐かしく、楽しそうに語ってくれたのはボクシングの中量級で米国を主戦場に活躍した亀海喜寛(35=帝拳)だった。6日、現役引退を発表した。

「道を踏み外しているんだから、困難から逃げてどうする」。

その信念一途。通学路をそれた雪山で遊びに没頭したように、日本ボクシング界では前例がない登山道を歩み、頂上まであと1歩まで迫り、そしてその中腹でグローブをつるすことになった。


引退を伝えるSNSには「とにかく、エリートでもなく飛び抜けたセンスがある訳でもなく、身体が弱くすぐ怪我していた自分が田舎から出て行っていつの間にか目指していた海外で戦えたのは最高におもしろかったし、本当に色々ありましたが…まずは健康に引退出来て良かったです」と書いた。

札幌商高(現北海学園札幌高)は入部した時に部員は1桁。きちんとした技術指導ができる指導者も不在。中2でボクシングに取り憑かれたが、すでに道は外れかかっていた。「その時の弱点で筋力が非常になかったので、近い距離のパンチを打てなくて、タブーといわれていたフィジカルトレーニングをこっそりとやったりして」。一般論だった速さの減退の危惧も、旺盛な好奇心に従えば、常道は関係なかった。アマチュアではあまりない徹底した接近戦からのアッパー、それを実行し続けるスタミナに、ひそかな筋力強化の成果も如実で、全国に名をはせた。修学旅行のバッグにグローブを忍ばせ、自由行動中の仲間とは別行動で宿舎の部屋でシャドーを繰り返す、そんな一流選手に付き物の必要条件も備わっていた。

アマ3冠に輝いた帝京大卒業後の05年にプロ入りし、高校時代とは異なる高度な技術力、戦略を下地に、15戦目で日本スーパーライト級王座を獲得。ただ、既にこの時点で「雪山」の存在を感じていた。

いわく「本物になりたかった」。その定義とは。「人種も違う人たちを振り向かせる試合をしたら、それは本物。『日本人だから』などで評価されるのではなく」。人種のるつぼ、米国のリングで栄光をつかんだ偉大なボクサーたちにあこがれた。

いわく「違和感があった。日本のファンは試合内容とかの前に、この選手は世界に行きそうだからと応援するのかなと。肩書ですよね、世界王者という肩書にいけるから肩入れする傾向があるのかな、と。でも、米国は世界王者でなくても、世界タイトル戦でなくても、おもしろい試合をしたらたたえられる」。その発言にむやみな蔑視はない。是非を問いただしたいわけでもない。ただ、日本タイトルを手にしたからこそ、日本が狭く感じられた。皮膚感覚に従い、だから、道を外れた。

11年、主戦場を米国に。そしてスタイルも変えた。というか、「今から思えば、やっていることは高校の時と同じですね」。全国の猛者に無名校の選手が太刀打ちするために考え抜いた、異常な筋力、桁外れの体力を源泉にしたインファイト。世界の猛者と渡り合うために「MAESTRITO(マエストリート)」(スペイン語で小さな教授)の異名も得ていた守備的でスマートなスタイルから、高校時代に相似なそれに180度転換した。とにかく近づき続け、打ち続ける。説明してくれた意図はシンプル。

「効かせるパンチはいかに自分が打ちやすいところで打てるかですが、レベルが高い相手だと打ち込めない。破格のハードパンチャーじゃないと。結局は手数が大事だよなと。野球でいったら打率3割だとしても、打席に立つ回数がたくさんあればヒットの数は増える。手数を増やすことで、ダメージを与え、倒すパンチもどこかで生まれやすいんです。テクニック、スピードがある選手が多いので、狙いすましたパンチなんかなかなか当たらない。ある程度近い距離で自分の攻撃機会をどんどん増やす。そこでスタミナがないとどうしょうもない」。

結果、常にスリリングな打ち合いが展開された。結果、「米国ではどんどん応援してくれる人が増えた」。それは必然だった。14年6月に元4階級制覇のロバート・ゲレロと12ラウンドの激闘を繰り広げ、年間最高試合候補にもなった。15年には元6階級制覇王者デラホーヤ氏が代表のプロモーター「ゴールデン・ボーイ・プロモーション」と日本人で初めて契約した。

そして、昨年の8月、米国9戦目にして「本物」がやってきた。元4階級王者ミゲル・コットはプエルトリコからやってきて米国で一時代を築いた超大物にして、交渉開始に際して「夢見るのは大概にしてください」とジョークだと受け取ったほどの「本物」だった。WBO世界スーパーウエルター級王座決定戦だったが、「世界王者になることではなく、コットを倒すことに価値がある」。奇道を登ってきたからこそ、出会えた本物だった。

結末は12回、大差判定負け。1試合で18億円を稼ぐ猛者に変わらぬ接近戦を展開。老練な技術、足さばきに決定機を作れなかったが、独自を貫いた歓喜と充実感はあふれかえった。最終12回、残り40秒の雄たけび。「カモン!!」。コットに叫ぶ姿があった。

試合前日の計量、デラホーヤ氏から「Coraz〓(アキュートアクセント付きO小文字)nDeAcero」(スペイン語で鋼のハート)と新愛称を授かった。道を外れる怖さを恐れず、道なき道を登り続けられるその心臓があったかこそ、「最高におもしろかった」と競技人生を総括できるまで、試合と同じように前進を続けられた。今後はトレーナー人生を歩むと聞いた。そこでも幼少期に道脇の雪山で遊んだように、道を外れてることを厭わずに、「本物」を育ててほしい。

【阿部健吾】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「We Love Sports」)