高校1年生の頃、今の自分は想像できなかった。

「自分でも驚いています。あのまま野球をやっていたら、ここにいないです」

6月1日、東京・江戸川区陸上競技場。

ラグビーのリーグワンで単独3位に輝いたクボタスピアーズ船橋・東京ベイ(東京ベイ)のファン感謝イベントが行われていた。

チームカラーのオレンジに染めた、客席のファンに別れを告げた午後5時。帰り際、取材エリアに立ったプロップ山本剣士(24)は9年前の春を思い返した。

そこまでは、兵庫・姫路市で野球に打ち込む少年だった。

転機は2013年4月、地元の姫路工高へ入学した直後にやってきた。

入部を希望していた野球部は、強豪として知られていた。

同校卒業後にドラフト1位で巨人に入団した真田裕貴氏(38)らが羽ばたき、甲子園出場経験もあった。

部員約120人。環境は申し分なかったが、1つだけ気掛かりな点があった。

「どうしても道具にお金がかかってしまう。ひとり親で『迷惑はかけられないな…』と考えていました」

その時、1人の先輩に声をかけられた。

「スパイクさえあったら、ラグビーはできるぞ!」

180センチ、80キロ。丈夫な体には自信があった。体験入部に行くと、周囲は初心者だらけだった。体をぶつけ、魅力に引き込まれた。

野球部とは違い、県内でも強豪とはいえなかった。

3年時の全国高校大会(花園)予選は3回戦で加古川西高に19-62で敗戦。その加古川西高が、のちに県準優勝する報徳学園高に準々決勝で0-61と完敗した。自らは兵庫県代表の控えメンバーとして国体予選にも出場したが、入学当初から進路に迷いはなかった。

「就職するつもりでした。工業高校で周りも就職する子が多かった。でも、初めて大学から声をかけてもらったんです。親にも相談したら『したいことがあるなら、やり』と言ってもらいました」

関西大学Bリーグ(2部)の大阪体育大だった。

強力FWが伝統で、ファンやメディアから「ヘラクレス軍団」と親しまれたチームに飛び込んだ。ポジションはロック。3~4年時にAリーグ(1部)でプレーがかなったが、2年生まで2部での戦いが続いた。

埋もれてもおかしくなかった才能を、高く評価していたのが東京ベイだった。

採用を担当した前川泰慶氏(37)は「とにかくウエートトレーニングがすごかったんです。いい選手になると思いました」と懐かしんだ。毎日居残りで体作りをしていた山本の努力の成果が、日本最高峰リーグのスタッフの目に留まった。

大学4年時は社会人を見越し、プロップに転向した。FW2列目を専門としてきた男にとって、1列目は別世界だった。

転向から、わずか1年。

2020年に東京ベイに入団すると、今回の日本代表候補に名を連ねるチームメートの海士広大(27)、北川賢吾(29)らにスクラムで圧倒された。

社会人1年目の衝撃を、山本は鮮明に覚えている。

「話にならなかったです、本当に。『こんなに違うのか』と思って『3年ぐらい試合には出られないな』と感じていました」

支えは仲間だった。

21年までチームでスクラムを担当していた佐川聡コーチや、後藤満久アシスタントコーチは根気強く指導を続けてくれた。個人練習でのタイヤ押しまで見守られ、部活動にも似た温かさを感じた。試合出場までに、3年はかからなかった。

チーム悲願の日本一へ、単独3位まで上り詰めた今季。準決勝、3位決定戦では後半に途中出場し、プレーオフ特有の緊張感を全身で体感した。

日本代表として豊富な経験を持つCTB立川理道主将(32)はシーズンを終えて「日本人の若手も出場機会を得て、パフォーマンスを出せた。チームとしてもいい経験。プレーオフの戦い方を経験できたのは、大きな進歩だったのかなと思います」と総括していた。

そんな若手の1人として、山本も向上心を持つ。

「まだスクラムが課題です。信頼されていない部分がある。フィールドプレー以外の部分でも信頼してもらうために、オフシーズンから頑張らないといけないです。『山本を出しても、全然いけるな』。そう言われないといけないんです」

186センチ、115キロ。鍛え上げた大きな体に、東京ベイが成長を続ける理由の一端が見えた。【松本航】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「We Love Sports」)

スクラム前に真剣な表情を見せる東京ベイのプロップ山本(クボタスピアーズ船橋・東京ベイ提供)
スクラム前に真剣な表情を見せる東京ベイのプロップ山本(クボタスピアーズ船橋・東京ベイ提供)
埼玉戦でプレーする東京ベイのプロップ山本(クボタスピアーズ船橋・東京ベイ提供)
埼玉戦でプレーする東京ベイのプロップ山本(クボタスピアーズ船橋・東京ベイ提供)