東海大仰星(大阪第1)が2大会ぶり4度目の優勝を飾った。桐蔭学園(神奈川)に1度は逆転を許したが、前半終了間際の29分にフランカー真野泰地主将(3年)のトライで19-17と再逆転。全国屈指の強豪にあって「谷間の世代」と言われたチームが大一番で、5トライを量産、37-31で日本一に輝いた。昨春の全国選抜大会、昨夏の全国7人制大会を含めて「3冠」。文句なしの“下克上”を成し遂げた。

 湯浅監督の頬をこの日2度目の涙が伝った。優勝決定の瞬間は笑顔。閉会式を終え、花園に校歌がこだました時だった。「感動しました」。99年度の東海大仰星初優勝時に主将として歌った、至福の時間。再現してくれたのは監督就任時に入学した3年生だった。

 1度目の涙は試合開始15分前、サブグラウンドで流した。ウオーミングアップを終えた25人を、控え部員が一列で送り出す。抱き合い、涙する107人の脇には、中等部の部員約50人もいた。「いつも通りだったから泣きました。アップで泣くのは初めて」。誇りに思う教え子たちを「白いジャージーを見たら(タックルに)行きなさい」と送り出した。3年間の人間的な成長に勝る策はなかった。

 授業、練習、分析…。そんな毎日も湯浅監督は「当然のこと。苦労と思ったことがない」と笑う。選手が「趣味はラグビーです」と言えば「最悪やな」と返答。朝のルーティンは音楽鑑賞で、最近は山下達郎がお決まりだ。妻、娘2人の家庭では「子どもにも評判がいいんです」とチャーシューを自らグツグツと煮込む料理好きの一面もある。経営者の本を好むのは、一般社会の空気を知るためだ。多趣味が気分転換になり、新しい引き出しを生む。

 最近の発見は偶然手に入れた、1マス5ミリの方眼ノート。横に35分割のノートは、横70メートルのグラウンドを鮮明にイメージさせた。10冊買いだめし、昨年11月20日から使用する。新チームに求めるのは「ひたむきさと目配り、気配り、心配り」。尊敬する土井前監督の東海大仰星は「湯浅色」で受け継がれる。【松本航】

 ◆湯浅大智(ゆあさ・だいち)1981年(昭56)9月8日、大阪市生まれ。中野中1年からラグビーを始め、東海大仰星の主将で79回大会(99年度)の初優勝を経験。東海大卒業後、東海大仰星で9年間コーチを務め、13年春に監督就任。93回大会(13年度)に就任9カ月で優勝。現役時代はフランカー。保健体育科教諭。家族は妻祥子さん(34)長女彩子(あこ)さん(5)次女想世(そよ)さん(3)。