11大会ぶりの準決勝を戦った同大(関西2位)が東海大(関東リーグ戦1位)に完敗した。試合開始10分までに2トライを献上。独特の雰囲気に浮足立ち、ノックオンや、キックオフのダイレクトタッチなど自滅が目立った。スクラム、モールを得意とする相手の土俵で戦うことになり、計12トライを許した。

 完敗だった。山神孝志監督(50)は「ブレークダウン(接点)の強さ、コンタクトの強さ…。我々はキックのミスもあって、いつもと違った」と振り返った。その約1時間後。全部員でのミーティングを終えると、少し落ち着いた表情になり「低さとスピード。これにはやっぱこだわりたいよな」とつぶやいた。

 近年の低迷は顕著だった。10年には関西リーグ7位でBリーグ(2部)との入れ替え戦へ。どん底のチームに会場からはペットボトルが投げ込まれた。OB会では「何でこうなるんや?」「何で夜遅く練習するんや?」と厳しい声が飛んだ。クボタに勤務する山神監督は、翌11年にコーチ就任依頼を受けて承諾。今季の4年生が入学した13年から監督となり、サラリーマンとの両立を行ってきた。

 京都府内の2つのキャンパスから選手が集まるため、毎日の練習は午後6~7時に開始。同3~4時から練習を始める他大学にはないハンディが、同大には存在する。一筋縄ではいかない再建だったが、監督1年目の13年。夏合宿中に1本の電話が入った。

 「どんな感じなんや?」

 昨年10月に53歳で亡くなったOBの元日本代表監督平尾誠二氏だった。そこから顔を合わせる度に、山神監督は平尾氏の言葉に耳を傾けた。「1人1人が『自分のチーム』やと思うようにならないと。緩やかな結束や」。同大の伝統である自由さ。それが固まった時の強みを意味した。

 今季の関西リーグでは最終節で天理大に敗戦。関西2連覇を逃し、チームは一回り成長した。その例を、指揮官はこう語る。

 「うちは展開ラグビーをしたい。例え話ですが、センターライン付近で攻めている時。それまでは『これが同志社や!』と何が何でもボールを回していた。でも、もしそこでミスが起きたら、自陣に入られてしまう。そうしたら苦手なスクラム、FW戦になる。こだわりを取るのか、勝つことにこだわるのか。そういう時に、キックを蹴って、敵陣に入ればリスクが減る。そういうことを考えるようになった」

 ここで大事なのは山神監督の指示ではなく、選手たちがそれを判断すること。SH大越元気(4年)もそれにうなずいていた。

 「天理戦でペナルティーを得たときに、ベンチから『ショット(PG)!』と言われたシーンがあった。でも『俺らは強気に行こう』となり攻めました。ただ、終わってから考えると1点でも多く刻む必要があった。勝ちにこだわれば、勝っていたかもしれない。そういう悔しい経験をして、リーダー陣で自然と話し合っていました」

 平尾氏が求めた「緩やかな結束」。それが形になり始め、中大、早大を倒した。だが、準決勝にそびえ立った東海大は異次元だった。

 山神監督は現在の立ち位置を「これまで『打倒関東』っていうのがキーワードだった。それが東海、帝京の2強に対して『これからどう戦おう』と考えるところまで来た」と語る。関西のハードルを跳び越え、関東のハードルも跳び越えた。次に立つのが帝京大、東海大の2強。完敗が、新たな挑戦の幕開けを告げた。