05年のGPファイナルで中学3年生が当時最強と言われたスルツカヤ(ロシア)を抑えて初出場で優勝。世界に衝撃を与えた。06年トリノ五輪は年齢制限で出場できなかったが、天真らんまんだった少女が大人に成長する過程を日本中が見守った。10年バンクーバー五輪でSP、フリーを合わせて3回転半を3度決める女子初の快挙を達成して銀メダル。同じ年齢のライバル、キム・ヨナとの争いは常にスケート界の中心だった。ライバルも諦めた高難度の技を跳び続けた。フィギュアの進化を促し続けた孤高の存在だった。

 GPシリーズではファイナル4度を含む日本人最多の15勝をマークした。全日本選手権は6度制した。世界選手権優勝3度も日本人最多。しかし悲願の五輪金メダルには届かなかった。

 多くの苦難に立ち向かう姿が人々の心を打った。競技の地位を高めた功績は計り知れない。三原舞依、本田真凜ら浅田に憧れる子どもたちがスケートを始め、普及と強化にも貢献した。5歳で銀盤に魅了されてから21年。誰からも愛された国民的なヒロインが、真剣勝負の舞台から去った。【益田一弘】