全国制覇4度を誇る伏見工の歴史に終止符が打たれた。昨春に学校統合となった伏見工・京都工学院が14-22で京都成章に逆転負け。現3年生が在籍する本年度が「伏見工」を名乗る最後だったが、あと1歩で21度目の花園切符を逃した。泣き虫先生こと山口良治総監督(74)は「校名は変わっても伝統は引き継いで欲しい」と唇を震わせた。赤と黒のユニホームは変わらない方針。全国を沸かせた魂のラグビーは永遠に語り継がれる。

 名門の意地だった。「伏見工」の名で戦う最後の舞台。15点差を追う後半ロスタイムに、左ライン際をWTB藤井が駆け抜けた。ゴール直後に無情のノーサイドの笛。全国制覇4度の名門は、残り1秒まで諦めなかった。前半をリードしながらの逆転負けで、2大会ぶり21度目の花園の夢は途絶えた。それでも同校が見せた、色あせることのない不屈の闘志は大観衆の涙を誘った。

 1974年(昭49)に監督に就任した山口総監督が荒れた学校を再建し、80年度に初の日本一になった伝説は、テレビドラマ「スクール☆ウォーズ」として描かれた。当時の主力がのちに同大、神戸製鋼、日本代表で活躍した平尾誠二さん(昨年10月死去)だった。

 就任直後は練習に出る生徒はいなかった。部員を捜し、千本鳥居で有名な伏見稲荷大社に行くと、たばこをふかしていた。試合当日に部員の切符を買い、集合場所の駅で待っても1人も来なかった。そんな状況から全国の頂点に立った。

 この日、ラストプレーで意地のトライを奪っても山口総監督は「トゥー レイト(遅すぎる)」と言葉を振り絞り「寂しい。勝負する以上は、勝つためにグラウンドに立たないといけないんや」と涙をこらえた。

 伏見工・京都工学院は昨春の学校統合により、伏見工時代に入学した3年生と京都工学院の1、2年生で構成。この日の敗戦で3年生の引退となり、伏見工の名は消えるが、伝統は受け継がれる。高崎利明ゼネラルマネジャー(GM)は「引き継げるものは全て残します」。赤と黒のユニホームや、山口総監督らスタッフも変わらない方針だ。

 観戦したOBで元日本代表の大八木淳史氏は「施設面などラグビーをやる環境は逆に良くなる」と話した。来季からは京都工学院となり、ロック亀川主将は涙ながらに「新しい歴史をつくってほしい」と新チームに託した。全国を沸かせた伏見工の物語は、永遠に刻まれる。【益子浩一】

 ◆伏見工の全国制覇 「信は力なり」がモットーの山口監督の下、花園に初出場した79年度に8強。翌80年度、大工大高(現常翔学園)との決勝を7-3で制し初の全国制覇。92年度は啓光学園(現常翔啓光)を15-10で破って2度目の優勝を飾り、直後に山口監督が「お前たち、かっこいいぞ!」と男泣き。00年度は佐賀工に21-3、05年度は桐蔭学園を36-12で破って優勝。主なOBに元日本代表の大八木淳史、細川隆弘、薬師寺利弥、現日本代表の田中史朗ら。

 ◆伏見工 1920年(大9)に京都市立工業高の分教場として設立。48年(昭23)の学校改革により、全日制と定時制のある市立伏見工に名称を変更。一昨年に市立洛陽工と統合して京都工学院とする案が市教育委員会に提出され、昨春から伏見工の入学募集を停止した。野球部は53年の選抜に初出場し4強。