20年東京オリンピック(五輪)セーリング競技の会場である江の島ヨットハーバー沖で、470級の世界選手権が8月4日に開幕する。日本男女ともに、表彰台に乗り、日本ペア最上位となれば、東京五輪代表に内定する。
昨年の同選手権では、女子の吉田愛(38)、吉岡美帆(28=ともにベネッセ)組が、日本女子初の金メダルを獲得。男子でも磯崎哲也(27)、高柳彬(22=ともにエス・ピー・ネットワーク)組が銀メダルに輝いた。470級の東京五輪代表選考レースは3大会。すでに、4月のプリンセス・ソフィア杯(スペイン)の1大会を終え、男子では市野直毅(31=島精機製作所)、長谷川孝(34=横浜ゴムMBジャパン)組、女子は吉田、吉岡組が首位に立っている。世界選手権を前に、セーリングを3回にわたって連載する。第1回は「雑草魂で五輪へ。市野、長谷川組」だ。
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1本の電話が、2人が東京へと歩みだすきっかけだった。長谷川が福岡・中村学園三陽高の3年だった時の1年、市野とは長谷川が福岡大、市野が関西学院大に進学した後も、連絡を取り合っていた。一緒に組んだことはなかったが、なぜか馬があった。
長谷川は大学卒業後、競技から離れ、サラリーマンとなった。横浜ゴムMBジャパンの沖縄支店で営業に精を出し、セーリングは「週末に10人乗りのキールボートで遊んでいた」ぐらい。その間、市野は外園潤平とのペアでリオデジャネイロ五輪を目指したが、夢破れた。
しかし、市野はどうしても五輪の夢を捨てきれなかった。たまたま別の用事で電話した長谷川に「2人で組んだら、何か違うものが見えるのかもしれない」とペアを打診。それが15年のことだった。
初めて組んで出場した同年4月のスペインのプリンセスソフィア杯は55位に終わった。しかし「この先、(東京に)チャレンジできるかな」(長谷川)と、手応えを感じた。市野も同じ思いだった。2人の中で、東京を目指す気持ちが固まった。
しかし、長谷川はセーリングとは無関係のサラリーマンで、レースには有休を使うしかなかった。市野は所属がなく、ともに自費でのレース参戦となった。五輪を狙うには、毎年、300~400万円ほどの艇を新調し、約30万円の帆(セール)はレースごとに変える。年間2000万円弱の経費はざらだった。
当然、2人にそれだけの予算はない。「セールは3~4レース使うのは当たり前。艇は欧州などに送る金が無いので、現地にいる友人に借りたりした」(市野)。ヨット教室で指導のバイトをし、海外では外国ペアが民泊するのに相乗りし経費を浮かした。「競技に100%集中したいけど、50%ほどしかできなかった」(長谷川)。
転機は18年だ。長谷川は上司に相談し、東京に転勤。会社の後押しでフルタイムで競技に集中できる環境を得た。市野は現在の所属である島精機製作所の契約社員となり、ようやくフリーの立場から解放された。2人で組んでから約2年。初めて競技に集中できる環境ができあがった。それでも、今でもスポンサーは募集中だ。
そして迎えた今年4月の東京五輪代表選考レース第1戦。2人が初めて組んで出た思い出のプリンセスソフィア杯だった。日本男子最上位の8位となり、代表選考レースのトップに立った。しかし、気持ちはあくまで挑戦者だ。「トップとか考えずに、あくまで純粋に世界選手権でメダルを取ることを目標にしてきた」(市野)。
15年4月に初めて組んでから4年。3年落ちの艇は、今は新艇に変わっている。しかし、この4年間でたくましく育った雑草魂は健在だ。「自分たちの強みは、すべての意思決定を2人だけでできること。大変だったが、それを4年間で養ってきた」(市野)。苦労をともにしたコンビは強固だ。その雑草ペアが、世界選手権でメダルを獲得し、東京への道を必ず勝ち取る。
◆市野直毅(いちの・なおき)1988年(昭63)1月22日、神奈川県葉山町生まれ。6歳でヨットを始め、05年高校総体優勝。10、11年全日本470級連覇。14年470級世界選手権26位。ポジションはスキッパー。関西学院大卒。160センチ、58キロ。
◆長谷川孝(はせがわ・たかし)1985年(昭60)4月6日、福岡市生まれ。中村三陽高でヨットを始め、99年全国高校選抜優勝。福岡大で04年ユース世界選手権代表となり、07年全日本学生スナイプ級優勝。ポジションはクルー。福岡大卒。180センチ、74キロ。


