卓球最初の道産子オリンピアン梅村礼は、リオデジャネイロ・オリンピック(五輪)卓球男子団体銀メダリストで東京五輪代表、丹羽孝希と同じ苫小牧市出身だった。室蘭水元小4年時、全道選手権一般の部に史上最年少で出場。大学生を倒し一躍、注目を浴びた。中学時代に北広島に転居、札幌日大から岐阜の富田女に転校。日本生命時代の01、02年の全日本選手権女子シングルスを連覇し、04年には世界選手権女子団体で銅メダル獲得と、当時の女子卓球界をけん引した。

日本女子には少ない、パワーあるドライブ攻撃を武器に世界ランクを上げ03年5月、同じ卓球の藤沼亜衣とともに、アテネ五輪個人種目の日本代表内定1号となった。本大会でも高速バックハンドを生かしシングルス16強、藤沼とのダブルスは8強に進出した。その後、05年からプロとしてドイツ・ブンデスリーガに挑戦。05-06年シーズンはラングバイトのエースとして欧州チャンピオンズリーグ準優勝に貢献した。

アテネ五輪には、15歳の福原愛が日本女子3枠目を勝ち取り、梅村とともに五輪初出場した。3回戦敗退も08年北京、12年ロンドンと3大会連続出場を果たし、ロンドンでは団体で日本卓球史上初の銀メダルに貢献した。梅村「アヤ」から福原「アイ」へ、日本の女子卓球界が引き継がれることになる。