前回大会3位の日大が、筑波大に1-3で敗れた。観客席から試合を見守った主将の高橋塁(4年)はけがでコートに立てないもどかしさを抱えながらも、小太鼓を片手に力のこもった応援を届けた。試合後、最後まで全力プレーを続けた仲間たちへ感謝の言葉を送った。

高橋は東京オリンピック(五輪)代表に選ばれた藍(らん、20=日体大)の兄で、卒業後はVリーグ1部のサントリーに加入することが決まっている。

日大では1年時からメンバー入りを果たし、3年時の全日本インカレでは同校45年ぶりとなる3位に導いた。最上級生となった今季は主将にも抜てきされ、コート内外で引っ張っていく存在に。練習メニューの組み立てから部のマネジメントに至るまで、約60人をまとめあげた。

秋季リーグへチーム作りが本格化する夏場、練習中に腰に激しい痛みが襲った。「最初は声を出しただけでも、すごく痛くて。全く動けませんでした」。ボールも触れない、体も動かすことができない。そんな状況はこれまで経験したことがなく、想像以上に辛かった。

気持ちが吹っ切れたのは、信頼の置く整体師の助言だった。「試合に間に合わせてほしいと言っていましたが、『今がピークじゃない』としっかり治療するよう説得されました」と、先を考え無理はしないことを決めた。

家族からの励ましの言葉も、落ち込む自分に活を入れた。「藍から『しっかり治そう』『絶対に大丈夫』と言われると、頑張るぞという気持ちにさせてくれて」と周囲の支えの大きさに改めて気づかされた。

大学最後の公式戦となった筑波大戦は「『自分が出れていれば…』と思うことはもちろんあります」と悔しさをかみしめる。それでも、試合に出られない選手たちのサポートがいかに大きかったかを実感したと言い「けがをしたからこそ、見えたものがあります」。 同期の4年生全員が会場に集まったこの日、仲間たち一人一人に「ありがとう」と伝えた。感謝の言葉が自然と口から出たのは、裏方として仲間のサポートに回った経験があったからだった。

バレーボール人生は続く。昨季Vリーグ優勝を果たしたサントリーでの意気込みを尋ねると「大学までが高橋塁第1章だとしたら、これから第2章を作りたい」。この筋書きに「日本代表で弟と対角を組む」という夢を実現させる日を切望しながら、心技体全てでさらにグレードアップすることを誓っていた。【平山連】

◆高橋塁(たかはし・るい)2000(平12)年1月14日生まれ、京都府出身。野球好きの父の影響で「塁(るい)」、弟は「藍(らん)」と名付けられたが野球への興味はあまり広がらず。代わりに元女子日本代表エースの栗原恵さんに憧れ、小学校3年生でバレーボールを始める。ポジションは、アウトサイドヒッター。東山高→日大に進学後、3年時の全日本インカレで3位に輝いた。卒業後はVリーグ1部のサントリーに加入する。186センチ。