「ガシャッ」。不穏な音が観客がいないアリーナに響いた。17年11月9日、大阪市中央体育館。羽生はNHK杯の公式練習中に4回転ルッツで転倒。右足首が不自然に曲がった。平昌五輪まで3カ月。靱帯(じんたい)を損傷して絶対安静10日間、全治3~4週間。涙して「フリーだけでも(出たい)」と途中出場を直訴も、周囲に止められた。

平昌はぶっつけ本番になった。伸び盛りの18歳ネーサン・チェン、19歳宇野昌磨が躍動する中、リハビリに耐える日々。励みは自室に飾った一通の手紙。48、52年で五輪連覇したディック・バトンのものだった。

「Enjoy the Oylmpic Experince.Relax+Have Fun!」。

周囲の見立ては、連覇に悲観的だった。だが平昌入りしたコーチのオーサーは開幕3日前、1語1語を区切るように言った。「Do not underestimate(結弦を見くびるな)」。羽生も、現地入り後に平昌での日本勢金メダル1号がかかることを問われ「誰がとろうが、僕もとります」と即答した。

2月16日、江陵アイスアリーナ。4カ月ぶりの実戦となった五輪SP。冒頭の4回転サルコーに成功し、観衆をぐっと引き込んだ。完璧な演技で111・68点で首位発進。「僕は五輪を知っている」と口にした。

連覇がかかるフリー、鍵は4回転ループだった。2位フェルナンデスと4点差、一方で爆発力があるチェンとは30点差があった。最高難度の構成を貫くか、連覇優先でループを抜くか。

羽生はフリー当日の朝、演技予定表から4回転ループを外した。「勝たないと意味がない。大事に大事に結果を取りにいきました」。4回転は2種類3本。2季目だった「SEIMEI」の完成度で、五輪連覇を決めた。本格練習わずか3週間の復活劇に「漫画の主人公にしては出来すぎ」と右足首にさすり、涙した。

羽生は帰国後に言った。

「実はバトンさんという方が僕にメッセージを送ってくださった。『リラックス』『五輪の経験を楽しめ』というものだった。彼は『練習しすぎていい演技ができなかった』と語っている。僕がけがをしないで万全でオリンピックに向かっていたら、そういう風になりえたんじゃないかな」。

先人の言葉を励みに、あきらめなかった。そして自分とライバルの状況を冷静に分析して勝ちきった。「いろんなものを犠牲にして頑張ってきたごほうび。自分の人生のうちで誇れる結果」。平昌の日本勢金1号。それは1924年に開催された第1回シャモニー大会から数えて冬季五輪通算1000個目の金メダルでもあった。(敬称略)【13~19年担当=益田一弘】