男子100キロ超級の斉藤立(20=国士舘大)が初出場優勝を逃した。五輪2連覇で、世界選手権は83年大会の無差別級を制している父、仁さん(享年54)との日本勢初の親子2代Vを目指したが、決勝でアンディ・グランダ(30=キューバ)に指導3の反則負けを喫した。個人戦最終日の最終戦で力尽きた。女子78キロ超級は昨年準優勝の冨田若春(コマツ)が3位だった。

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39年前の父仁さんとの、親子2代の世界王座を逃した。初戦から3試合連続の一本勝ちに、準決勝では内容圧倒の反則勝ちと充実の内容で決勝に進んだが、グランダに屈した。延長戦の末、なりふり構わずかけてくる相手の技を受け続ける展開になり、指導3つ目を受けた。審判から宣告されると両膝に手を突き、悔しがった。夢は持ち越した。

出国前に「1つ1つの試合に、自分の全てを、命を懸けて勝ちにいきたい」と燃えていた通り集中した。初戦の2回戦で欧州王者の第2シード、スパイカース(オランダ)を大外刈りで振り切って波に乗る。3回戦もドミニカ共和国の選手に鮮やかな内股で、準々決勝もウクライナ選手に足車で一本勝ちしていた。準決勝ではタジキスタン選手に反則勝ちで決勝に進んだ。

仁さんは83年大会の無差別級で優勝。肩を並べるまで、あと1勝だ。今年4月の全日本選手権を制して史上初の父子Vを達成し、次は世界で、全階級を通じて日本勢初の偉業に挑んだものの、勝ち切れなかった。

84年ロサンゼルス、88年ソウル五輪の男子95キロ超級で2大会連続金メダルの父は15年に54歳の若さで亡くなった。肝内胆管がんだった。当時、中学1年生。病床から最期の言葉「稽古、行け」を授かり、大学3年生で日本一になったが、その後は負傷で練習できず。6月の学生大会では75キロも下の村尾三四郎(東海大)に敗れる屈辱に転落した。

「人生で1番、病みました」。7月の国際大会も欠場。父から授かった言葉を思い出した。「自分は稽古できた時しか勝てない」。今回は「十二分に準備できた」結果が、日本勢が長く苦しんできた階級での銀メダル。準決勝までは抜群。会場で母三恵子さんが父の遺影を持つ中、表彰式に向かう際は下を向いて歩いたが、貴重な経験は積んだ。

決勝で力尽きても191センチ、170キロの恵まれた体格と父譲りの技で場内を沸かせた。自信を胸に24年パリ五輪を目指す。輝きは銀色でも、夢へ前進したことは間違いない。【木下淳】

 

◇斉藤立(さいとう・たつる)

◆生まれ 2002年(平14)3月8日、大阪府。

◆柔道歴 5歳で始め、小中高すべて日本一。主な実績は全国高校総体2連覇など。国士舘大2年の昨年11月にグランドスラム(GS)バクーで金メダル。シニアの国際大会初優勝を飾る。4月の全日本選抜体重別は両者反則負けで3位。

◆全日本選手権 国士舘高3年時に史上最年少の17歳で初出場(3回戦)。4月の優勝は石井慧、山下泰裕に次ぎ3番目に若い20歳1カ月で到達。父仁さんは88年に27歳で初優勝した。

◆体重 4月の全日本選手権は公称より5キロ多い165キロ。今は170キロで「ベストは165キロ。減らしすぎると調子が崩れる」。

◆得意技 仁さん直伝の体落とし、内股、足車。

◆サイズ 服は5XLで靴は35センチ。市販品がないためナイキのカスタム制で。

◆家族 母三恵子さんと兄一郎さん。3歳上の兄も国士舘中高で柔道部所属。

◆その他 柔道の組み手は左、四段、血液型はO。