フィギュアスケート男子の冬季オリンピック(五輪)2連覇王者で、昨夏プロ転向した羽生結弦さん(28)が、東日本大震災の発生から12年の日に、地元宮城から渾身(こんしん)の演技を、追悼のメッセージをささげた。

あの日、大地震が起きた午後2時46分、開演前のリンクへ他の出演者とともに上がると、サイレン音に合わせて黙とうし、涙した。

3・11当日の公演。これまで人知れず鎮魂の思いを込めて滑ってきたが、この日は県内外から詰めかけたファンの前で、何度も氷を触っては天を見上げた。

ショーの最初と最後にはマイクを握り、目を潤ませながら、声を震わせながらスピーチした。

<オープニング>

ご来場いただき、本当にありがとうございます。全国の映画館、そしてライブ配信でもご覧の皆さん、本当にありがとうございます。そして台湾、香港での映画館でご覧の皆さん、ありがとうございます。謝謝。ありがとうございます。

この「ノッテ・ステラータ」という意味は「星降る夜」という題です。ちょうど、12年がたちましたが、この3月11日の夜に見た星空から、たくさんの希望をいただきました。今、皆さんがこうやって見てくださっている視線も、僕にとっては、本当に希望の光がいっぱいとなっているように感じています。

ただ、今回のショーは僕らが皆さんに向けて、僕たちのプログラムが1つずつ希望の星となって、キラキラと輝いて、祈りだったり、やさしさだったり、寂しさだったり、いとおしいだったり、そういったものを込めながら、滑らせていただきたいと思っております。

どうか、最後まで、この、この大切な時を感じながら、そして希望を感じながら、この満天の星空を、最後まで見ていってください。よろしくお願いします。

<クロージング>

皆さん、本当に今日はありがとうございました。そして、全国の映画館、そしてライブビューイング、また、台湾、香港でご覧の皆さん、本当にありがとうございました。

こうやって希望をたくさん届けたつもりですけれども、祈りもたくさん届けたつもりですけど、その後にちょっとだけ、ここで、なぜ、ここの氷にたくさん手をついてたか、そして手をついて上に、あの気持ちを上げていたか、少しだけ宮城県民として説明させてください。

ここは宮城県民、仙台市民、全ての人々にとって、本当に特別な場所です。

ここは、ここは遺体安置所だったんです。

だから、だから本当に、こうやって、たくさんの、今ある命がここの場所に集まって、その中で僕がこんな演技をしてしまって、3月11日という日にこの演技をして、ここに氷を張っていいのだろうかという戸惑いは、すごくすごくありました。

ただ、今日この「ノッテ・ステラータ」をやって、きっと震災に関わらなかった人も、震災で苦しんだ方も、そして震災のニュースを見て苦しんだ方々も、ちょっとでも希望だったり、やさしさだったり、そんな時間ができたのではないかなと思っています。

そういうことを思えば、僕が、生きて、今日という日を皆さんの前で、この会場で迎えることができたのは、少しでも意味のあることだったのかなと自分を肯定できます。そんな時間をつくってくださり、本当にありがとうございました。

これから先、人生って、僕が言うのも何ですけどね、本当に何があるか分からないですし、今、世界情勢的に平和ではないかもしれません、火種はたくさんあります。

ただ、その中で少しでも平和で、やさしさにあふれた日々が訪れるように。

この3月11日の「ノッテ・ステラータ」という星たちは、いつも皆さんの平和とやさしさと幸せを願っています。今日は本当に、ありがとうございました。

どうか最後まで、最後の最後まで気をつけて帰ってください。

(地声で)ありがとうございました!

今日ある命は明日もあるとは限りません。今の幸せは明日もあるとは限りません。そうやって地震は起きました。だからみんな真剣に、今ある命を、今の時間を幸せに生きてください。