アスリートの生い立ちや人生のターニングポイントを聞く「わたしのツクリカタ」。今回は宇都宮ブレックスの遠藤祐亮(33)の登場です。全3回、お送りします。子供のころ、水泳をやっていた遠藤は挫折を味わいます。バスケットを選んだ中学で、人生を変える出会いがありました。(取材・構成=沢田啓太郎)
◆遠藤祐亮(えんどう・ゆうすけ)1989年10月19日生まれ、千葉出身。市立船橋高から大東文化大に進み、2012年、リンク栃木ブレックスの下部組織TGI・DーRISE(JBL2)に入団。同年、ブレックスに昇格した。Bリーグのベスト5を1回、ディフェンダー賞を2回受賞。2児のパパ。
-千葉県習志野市のご出身ですね
遠藤 習志野高校の野球が有名です。
-バスケット以外のスポーツ歴はありますか
遠藤 3歳から小6まで水泳をやっていました。結構真剣にやっていて、いろんな大会に出るクラブに通っていました。小学校のときは正直、バスケよりも水泳という感じでした。
-水泳ではなくバスケットを選んだ理由は?
遠藤 水泳にジュニアオリンピック(※)というのがあるのですが、最後の最後で大会出場に届かなくて。そこで挫折を食らったというのと、中学校に水泳部がなかったこともあって、中学にあがるタイミングでバスケの方を選びました。
(※)全国JOCジュニアオリンピックカップ水泳競技大会 日本オリンピック委員会後援、日本水泳連盟主催で、18歳以下が対象。1978年に第1回大会が開催された。競泳、飛び込み、水球、アーティスティックスイミングが行われる。夏季大会(8月)と春季大会(3月)がある。競泳では過去に荻野公介、池江璃花子らが最優秀選手に選ばれている。
-水泳ではどんな種目をやられていましたか
遠藤 自由形です。それと背泳ぎです。
-もしジュニアオリンピックに出ていたら、水泳の道に進んだかもしれない
遠藤 そうですね。
-ご両親は好きなことをすればいいという考え方だと伺いました
遠藤 基本はそうですね。
-ご両親のご職業は
遠藤 父親が自衛官で、母親は専業主婦です。
-習志野駐屯地勤務ですか
遠藤 はい。自衛隊の官舎に住んでいたのですが、同じ官舎の年長のお兄さんたちがみんなバスケをやっていていたので、自然にバスケを始めました。
-市立船橋高校に進学した理由は
遠藤 中学校の監督さんのおかげです。中2の時、前の年に習志野一中で全国優勝した監督さんが僕の中学校にいらっしゃったんです。そこからいろんなことが変わって、(強豪の)高校の先生が練習を見にきたりとか、チームは強くないけど(千葉県の)ジュニアオールスターに選ばれたりとかするようになりました。
-その先生と出会って一番影響受けたこと、今でも残っていることを教えてください
遠藤 それまでは学校外の未経験の方が監督をやっていて、顧問の先生は卓球専門でした。練習はちゃんとしていましたけど、そんなに緊張感はありませんでした。未経験の方が監督の時は「ただ走ればいい」でしたけど、新しい監督はどういうフットワークをすればどういう動きができるとか、本当に細かいところまで教えてくれました。練習の取り組み方から練習量まで、そこでしっかりしたバスケットを学びました。
-バスケットが楽しくなりましたか
遠藤 はい。それまでは県のトップを狙えるチームではなく、習志野市で1位になれるかなれないかというチームでしたけど、僕が3年生の時に県で2位になれました。タレントがそろっていたわけじゃないのですが、個人ではなくチームで戦って勝てるようになったことが楽しさにつながりました。
-そのころから3ポイントシュートが得意だったのですか
遠藤 いえ、そんな感じではないです。中学では走るのも速くて体力もあった方なので、本当に身体能力だけで、シュートを打つというよりは走って走って、という感じでした。
-身長はどれくらいでしたか
遠藤 伸びるのは遅かったので。3年生の終わりで170センチくらいですか。
-高校になってからぐっと伸びた
遠藤 高校3年間で180センチくらい。今より5センチ低かった。大学になってからも伸びました。
-高校時代はバスケット漬けですね
遠藤 朝練はなかったですけど、放課後と土日はずっとバスケして、月曜日だけ休みでした。
-全国大会での成績はどうでしたか
遠藤 3年のインターハイはベスト16、ウインターカップはベスト8でした。
-高校時代に印象に残っていることは
遠藤 中学校のころはチームの中心としてやっていたんですけど、高校1年の時はボールを触らせてもらえないし、ランニングコースをひたすら走って走ってでした。キツかったし、高校時代を振り返ると、1年生の時のことがばっと思い返されます。
-1年生はみんな同じですか
遠藤 いえ、自分たちの代でも背の高い選手や上手な選手はAチーム(1軍)でやっていました。それ以外の1年生はみんな、(体育館のスタンドの)上を走ったりだとか、トレーニングしたりでしたね。むちゃくちゃ、きつかったです。
-部活を辞めようと思ったことは
遠藤 みんなで言っていました。ボールを使った練習をさせてもらえない全員で。
-我慢できたのはバスケットが好きだったからですか
遠藤 まあ、これを越えれば(2年生になれば)、1個上の先輩に勝てるっていう自信を持ちながらやっていたので。この1年を耐えれば、という感じでしたね。(2年生から)徐々に出られるようになりました。(つづく)
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