偉大な父へ、勇姿を届ける。ラグビー日本代表プロップでトンガ出身のバル・アサエリ愛(30=パナソニック)が、初出場のワールドカップ(W杯)日本大会で躍動している。

1次リーグ初戦のロシア戦、第2戦のアイルランド戦に連続出場。初の決勝トーナメント進出を狙うチームの2連勝に貢献した。父は元トンガ代表フランカーで同国では伝説的存在のファカハウさん(70)。父と同じ舞台にたどり着いたバルが強烈なコンタクトを武器に第3戦のサモア戦(愛知・豊田スタジアム)に臨む。

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母国を離れて15年がたった。子どもの頃に夢見たトンガ代表のジャージーに袖は通していないが、バルは日の丸を背負うことが誇らしかった。「今は試合が楽しみ。自分の強みを出して試合で目立ちたい」。たどり着いたW杯の大舞台にも物おじはしていない。

英雄の遺伝子が受け継がれている。父ファカハウさんは元トンガ代表フランカーの名選手。強烈なタックルを武器に87年のW杯第1回大会に主将として出場し、95年の第3回大会では監督としてチームをW杯初勝利に導いた。ワールドラグビーの前身で国際ラグビーボードの殿堂「パスウェー・オブ・フェイム(英雄の道)」入りを果たすなど、伝説的存在だ。同国出身で元日本代表のタウファ統悦氏は「日本で言えば長嶋茂雄さんのような存在」と日本の国民的スターに例える。

父は自然を相手にプレーを磨いた。整備された練習場がなかった40年以上前、通ったのが森の中だった。コンタクト練習の相手は、無数に生えているバナナの木。自身の3、4倍の高さはあろう木を、強豪国の選手に見立てて1日に何十回もタックルした。ボール代わりのココナツを持ってはぶつかり、転がしてはボールを抑えるセービングの練習を繰り返した。森の中で行った特訓は、いつしかトンガで長く語り継がれる逸話になった。

偉大な父を持つバルは同国代表を目指し、12歳から本格的にラグビーを開始した。ハードタックルと強烈なコンタクトを武器にU-15同国代表に選出。夢への階段を1歩ずつ上っていた頃、父に留学を勧められた。現役時代に感銘を受けたという、日本人選手の情熱を聞かされ、来日を決意。しかし、日本の高校、大学では芽が出なかった。「お父さんはすごい人なのに、何で息子は代表になれないの」。周囲からの冷ややかな視線が重圧となった。

転機はパナソニック2年目の14年。名将ロビー・ディーンズ監督から「プロップに転向すれば日本代表も狙える」と助言され、NO8から転向。「動けるプロップ」としてジョセフ・ヘッドコーチの目に留まり、17年11月に日本代表初キャップを獲得した。そして8月29日、W杯の日本代表メンバー31人に選出。「やっと気持ちが楽になった。プレッシャーがなくなった」。父の偉大な背中に近づき、安堵(あんど)の思いが込み上げた。

トンガに住む父へ、電話で日本代表入りを報告した。「よくやった。頑張ったから日本代表になれたな」と喜ぶ声に、感極まった。同時に「やっと並んだ。まだまだここから」と気持ちが高ぶった。1次リーグ突破へ負けられない5日のサモア戦。「アイルランド戦みたいにしっかり組めば、いい試合になる」。桜のジャージーの誇りと父の魂を胸に宿し、ピッチに立つ。【佐々木隆史】

◆バル・アサエリ愛 1989年5月7日、トンガ生まれ。15歳で来日。正智深谷高-埼玉工大-パナソニック。17年11月のオーストラリア戦で代表デビュー。代表キャップ11。13年に萩本欽一の親族で元テニスプレーヤーの妻愛里さんと結婚し、日本国籍を取得。名前の「アサエリ」に妻の名前の「愛」を1文字加えた。家族は妻、2男1女。特技は散髪。趣味は温泉。187センチ、115キロ。血液型O。