リオデジャネイロ五輪イヤーの16年。8月には20年東京五輪での野球・ソフトボールの競技復帰が正式決定する見通しだ。プロ野球の熊崎勝彦コミッショナー(73)は、野球界の未来のために、グローバル化を1つのテーマに掲げる。24年五輪以降も五輪種目であり続けるために、国内の野球振興とともに、海外の野球振興にも力を入れる。【取材・構成=佐竹実、前田祐輔】

(2016年1月13日付紙面から)

プロ野球新人研修に出席した熊崎コミッショナー(撮影・山崎安昭)
プロ野球新人研修に出席した熊崎コミッショナー(撮影・山崎安昭)

 熊崎コミッショナーは、五輪イヤーとなる16年が、野球界にとって重要な1年になると位置付ける。8月には20年東京五輪の種目復活を控える。3月には侍ジャパン強化試合(対台湾)が2試合。来年3月にはWBCが開催される。

 「やっぱりベストチームだよ。ドリームチームをつくって、オリンピックの中に野球が取り上げられて、国民が拍手喝采できるような、そんな試合を展開してほしい。オリンピックの種目復活に向けて、今は大事な期間だと思う。国際試合をやって内外に野球のすごさを広げていくためには、各球団シーズンの充実はもとよりだけどね、国際試合というものにも、きちんと意思を持ってやっていかないといけない」

 20年の東京五輪では、参加が従来の8チームではなく、縮小した形の6チームで行われる可能性がある。

 「6チームかどうかもまだ確定ではない。決め付けられない部分はありますが、やはり野球が2020年だけじゃなくて、その後も永続的に続けられるようにすることがすごく大事なこと。やっぱり夢を持たないとダメ。特にスポーツ界は夢を持たないと。何でもそう。夢を持って、その夢に向かってどこまでアプローチできるかだから」

 未来の野球界のために、国内の野球振興だけではなく、海外に向けた野球振興にも力を入れる。昨年3月には、野球界ではなじみが薄い欧州代表戦を行った。

 「侍ジャパンがヨーロッパと試合をやるなんて、っていう意見もありましたよ。しかし私はね、声高らかに反論しましたよ。何を言ってるんだと」

 そこには、五輪復活を含めた、野球振興への明確な狙いがあった。

 「ヨーロッパは、サッカーが盛んじゃないですか。どうしても野球はアメリカ、アジア、中南米が中心。ヨーロッパと試合することで、どういう効果が出るか。あれ(欧州代表戦)はユーロスポーツTVで中継されて、ヨーロッパ50カ国以上で見ることができるようにしたんです。ヨーロッパ各国の野球機構のトップがみんな集まって会議(※注1)もやりましたよ。野球と言えばMLBの方を見ていたけど、日本でこれだけ素晴らしい野球運営ができて、こんな素晴らしいスタンドがあって、観客が集まって、スポーツ新聞を含めて、これだけの取り扱いがある。日本の高度な野球文化を初めて知ったという発言もありましたよ。うれしかったね、やっぱり。そういう地道な積み上げが、野球の世界振興につながる」

 侍ジャパンを通じて、野球のグローバル化を推し進めていく。さらに、「もう1つ重要なこと」と言って、将来のための日米共通の問題点を付け加えた。

 「親御さんが、安心して子供を預けられるような野球界をつくっていかないといけない。これは絶対に大事。アメリカでは肘とかを痛める確率は高いと言われている。マー君やダルビッシュ君も、肘を痛めたりする。やっぱり(米国と)共通の課題だから。肘とか肩とかを痛めるということは、野球を発展させるための阻害要因。だからそういうことに対して共同研究、情報共有しましょうよという話が一昨年決まった(※注2)。防ぐためにはどうしたらいいかということを、野球界全体で考えていかないといけない」

 より良い球界にするために―。発展を願う思いの根底には、岐阜で過ごした少年時代がある。石ころに麻糸を巻いてカチカチの〝ボール〟をつくり、棒切れのバットで走り回った。プロ野球選手の顔写真が入ったメンコに夢中だった。「僕は野球は下手くそだけど、好きやった。田んぼの中でやる、まさに草野球、田んぼ野球ですよ」。それが、熊崎コミッショナーの原風景。20年の東京五輪、さらにその先の未来へ、取り組むべき課題は数多い。「あれもやりたい、これもやらなきゃと思うんだけど、まあコミッショナー、30年ぐらいやらないとダメだな」。最後はそう笑って言って締めくくった。


 ※注1 昨年3月11日に都内で開催。世界野球ソフトボール連盟(WBSC)フラッカリ会長、欧州8カ国の野球連盟代表者に加え、台湾プロ野球の呉志揚コミッショナーも参加。20年東京五輪での野球、ソフトボール復活に向けても意見交換した。

 ※注2 14年7月に米大リーグ球宴視察で訪米した際、ニューヨークで同機構ロブ・マンフレッド最高執行責任者(現コミッショナー)と会談。日本の公式球を手渡し、日本の登板間隔などについても説明した。


★取材後記 コミッショナーと聞くとお堅く、しゃべらず、近寄りがたいイメージを持つかもしれないが、熊崎コミッショナーは正反対といえる。自らNPBの記者室に顔を出し、雑談が1時間近く及ぶこともあった。試合の感想から、時事ネタ、検事時代の思い出まで話題はさまざま。同じ話が繰り返されて戸惑うこともあったが、積極的にコミュニケーションを図ってもらった。

 今回の取材は質問を挟む間がないほどの〝独演会〟だった。野球界が直面する課題、自身の役割、そして夢を1時間以上語った。その目は日本にとどまらず、世界を見ていた。やるべきと決断したことは、たとえ批判を浴びたとしても、まずトライするという信念。名誉職にとどまらない、本気のリーダーシップを楽しみにしたい。【佐竹実】