龍谷は8回から登場の牟田が辛抱強かった。この夏は初登板の背番号13。同点にした直前の攻めで、ベンチは2番手投手に代打を出す勝負手を打っており、チームの行く末を背負うことに。「不安でした。練習試合なんだと自分に言いきかせた」。外野の大会名の横断幕から必死で目を背けた。

 4-3とした延長10回。長短打で追いつかれたが、腕を強く振る持ち味を出し切る。無死二、三塁で三直。好守に救われた。さらにライナーを自らが好捕して併殺だ。サヨナラ負けの流れを劇的に押し戻すと、11回1死二塁、石橋の決勝打が左翼線に飛んだ。

 昨秋はエース。肩を痛め、復帰は3月だった。「悔しさ、不安が吹き飛びました」。大舞台を前に投手陣に厚みが増した。(朝日新聞)

 ◆龍谷 1878年(明11)に創立の振風教校が前身の男女共学私立校。1948年(昭23)に龍谷高と改称。普通科に818人(女子270人)が学ぶ。野球部は1907年創部で部員数は69人。甲子園出場は夏は95年以来3度目(未勝利)、春は1度。主なOBはオリックス堤裕貴ら。所在地は佐賀市水ケ江3の1の25。徳重清隆校長。

◆Vへの足跡◆

2回戦12-2東明館

3回戦3-2塩田工

準々決勝6-2唐津東

準決勝4-3佐賀商

決勝5-4唐津商