高校野球100周年の夏は、小笠原の夏だった。東海大相模(神奈川)が、仙台育英(宮城)を破り、70年以来45年ぶり2度目の全国制覇を果たした。最速151キロのドラフト1位候補、小笠原慎之介投手(3年)が9安打6失点(自責5)ながら、161球で完投。同点の9回には決勝のソロアーチを放って自ら試合を決めた。初めて夏を制した門馬敬治監督(45)は、東海大相模元監督で昨年亡くなった恩師の原貢氏(享年78)以来の日本一に涙が止まらなかった。

 雨の上がった甲子園の空に、思いもかけない白球のアーチがかかった。6-6で迎えた9回表。小笠原が、内角高めに浮いたフォークを豪快に振り抜いた。スクワットはチーム断トツの200キロを上げるパワー型左腕。当たれば飛ぶ。「いくべ、いってくれ!」。心の声が乗り移った奇跡の一打は、右翼席前列へ吸い込まれた。

 公式戦初のソロアーチに、思わず口をあんぐり開けた。ベンチに戻ると門馬監督に抱き締められ「最初で最後だと思います」と照れくさそうに笑った。一緒に日本一になろう-。高校入学後、監督と交わした誓いを自らのバットで果たした。10-6は、くしくも45年前の決勝でPL学園(大阪)を破った時と同じ。高校野球100年の夏。再び時が巡ってきた。

 何度となく苦しそうに表情をゆがめた。初回から最速149キロを出したが走者を背負い、変化球でカウントが取れなかった。3回に4連打で3点を返され、6回2死満塁では、仙台育英・佐藤将に3点適時三塁打を浴び同点とされた。「苦しかったけど、ベンチでは監督に『想定内だからな』と言われていた。追い越されなかったのが勝ちに結びついたと思います」。東北勢の初優勝を願うスタンドの声援も、力に代えた。歓喜の瞬間は、ゲン担ぎで使い続ける「幸せの黄色いグラブ」を空に掲げた。

 信頼を取り戻す夏だった。「去年の夏は悔しさしかなかった」。2回戦の盛岡大付(岩手)戦で1回1/3を無失点で抑えたが、1年冬に左足首と左肘を痛めたことで走り込めず、登板は最長5回まで。「ケガをした時はもう終わったかと思いました。監督の信頼もなかったと思う」。嫌いなランニングに自主的に取り組んだ。県大会1カ月前からジェットヒーターが持ち込まれたブルペンでマスクを着用しながら投げ込み、過酷な暑さに耐えるスタミナも養った。

 高校NO・1左腕は「進路はまだ決めていません」とするが、プロ志望届を出せば1位競合は間違いないとされる。28日から行われるU18(18歳以下)ワールドカップ(大阪市ほか)日本代表にも選ばれ多忙を極めるが、つかの間の休息で全国制覇の余韻に浸る。「うれしすぎると泣けないんですね。苦しい夏。死ぬまで忘れられない」。澄んだ瞳には、日本一を語るスコアボードが映っていた。【和田美保】

 ▼東海大相模・小笠原が、自らの決勝本塁打で優勝投手になった。夏の決勝戦で投手の本塁打は4本目。このうち殊勲(先制、同点、勝ち越し、逆転)の肩書付きは09年堂林(中京大中京)に次いで2人目。堂林は日本文理戦で自ら先制2ランを放ったが、その後同点に追いつかれ決勝本塁打になっていない。投手の決勝戦Vアーチは、春夏を通じ小笠原が史上初。

 今大会では聖光学院戦で球場表示151キロを出した。過去の150キロ投手(スピードガンが導入された80年以降20人)は、意外と優勝に縁がない。優勝したのは98年春夏の松坂(横浜)05年夏の田中(駒大苫小牧)12年春夏の藤浪(大阪桐蔭)に次いで4人目。【織田健途】