浜松開誠館(静岡)のエース小原光士郎(3年)が、成長の証しを見せる。今春部長に就任した元中日の佐野心氏(49)の指導を受けて、投球フォームを修正。野球への取り組み方も変えた。昨夏は開幕戦で日大三島に敗れ、出場校で最も短い夏になった。今年はチームメートと最も長い夏を過ごし、初優勝を目指す。

 小原がようやく「背番号1」を付けて夏の大会に臨む。2年の昨夏は、同学年の飯田拓也がエースナンバーを背負った。新チームになった昨秋は、チームとして1勝も出来ずに終えた。春は2回戦で掛川西に3-12の大敗。飯田の控えに甘んじてきた小原は「その頃まではまだ感覚だけでストライクを取っていました」と振り返る。

 昨夏、小原は佐野氏と初めて会った。持ち味の制球力を失い、迷っていた頃だった。佐野氏は08年夏、常葉学園菊川を監督として率いて甲子園準優勝。同校部長時代にはDeNA田中健二朗投手(26)らを育てたが、フリーの立場で浜松開誠館の練習を見に来ていた。そして、すぐに投球フォームの修正を指示された。(1)踏み込んだ右つま先の左打者側に向いていたのを真っすぐに(2)腕の振りを小さく(3)肩を水平にして投げるの3点を指導された。

 今春、佐野氏が部長に就任すると、そのポイントを繰り返して言われ、フォームが体になじむようになった。結果、本来の制球力を取り戻し、6月中旬の練習試合で、三重(三重)を9回1失点、中京(岐阜)6回を無失点に抑えた。「分かりやすく教えてもらえています。直球がシュートしなくなりました」。

 チームとして、個人として昨夏の雪辱を期している。エース小沢怜史(18=現ソフトバンク)擁する日大三島に2-7で開幕戦で敗退。チームのマウンドには、飯田が立ち続けた。そして1年かけてつかんだ背番号1。飯田との争いが続いていることも自覚し、小原は「どっちがエースとかはないです。この夏は2人で投げて勝ちたいです」と言った。【大野祥一】

 ◆小原光士郎(おはら・こうしろう)1998年(平10)4月9日、愛知県豊橋市生まれ。小5から吉田方ファイターズで競技を始める。家族は両親、姉、妹。179センチ、72キロ。左投げ左打ち。血液型AB。