26年後の甲子園も騒然としていた。タイブレーク制に突入し、2点を追う13回裏無死満塁。済美の1番矢野功一郎(3年)が右翼に逆転サヨナラ満塁本塁打を放った。ファウルかと思われたが、強い浜風に押し戻された。8回には9番政吉完哉(3年)の逆転3ランを含む一挙8得点に猛攻で、6点差をひっくり返した。球史に残る壮絶な試合を制し、3回戦に進んだ。

 済美の中矢太監督(44)は驚きを隠せなかった。「苦しい試合になると想像していたが、こんなゲームになるとは…。ビックリしている」。明徳義塾出身。92年夏に社会問題となった「松井の5敬遠」のメンバーだった。当時は3年生で、星稜戦は三塁コーチと伝令役を務めた。「まさか甲子園の舞台でまた星稜さんと試合をするのは考えてもみなかった。(当時は)すごくいい経験をさせてもらった」と試合前には話していた。今回も星稜打線は強力だった。前夜のミーティングでは、「5敬遠」の話もナインにした。「みんなも知っていると思うが、先生の現役の時に、こういう話があった。勝つための最善の策として、そういう状況がきたら、(敬遠を)やるよ」。

 しかし初回に5点を先制される苦しい展開。それでも序盤に走者が出ると、バントを選択した。「とにかく1点。辛抱強く、ランナーをためて攻撃しよう」と選手に声をかけた。6点を追う3回に1点を返したが、「イーブンになった」という気持ちだったという。粘りの気持ちは選手に伝わった。13回には9番政吉にセーフティーバントのサインを出し、見事に成功。逆転サヨナラ満塁弾を呼んだ。

 高校3年間を馬淵監督と過ごし、03年には済美のコーチに就任。上甲正典監督(享年67歳)の元で、指導者哲学を学んだ。四国を代表する名将を知る指揮官が、甲子園で奇跡を起こした。