<高校野球春季岩手県大会:水沢3-2久慈>◇23日◇準々決勝◇岩手県営球場

 水沢が久慈に競り勝って02年以来9年ぶりの4強進出を決めた。佐々木大志投手(3年)が公式戦初完投。東日本大震災で壊滅的被害を受けた高田の野球部監督で、父の佐々木明志氏(47)が見守る前で快投した。

 水沢の背番号8、佐々木大が公式戦初完投を勝利で飾った。184センチの長身から投げ下ろす最速141キロの直球にカーブ、チェンジアップを織り交ぜて7安打10奪三振。最終回、粘る久慈に1点差まで迫られたが「(4回まで被安打ゼロで)途中は力んだけど、粘り強く投げられた」と喜んだ。

 スタンドには、休暇を取って駆け付けた父明志氏の姿があった。震災後、クローズアップされ続ける高田の監督。佐々木大は3月11日、関係者を通じて父の無事を知ったが「連絡が取れたのは2週間後」。その間、父は遺体安置所を回るなど教え子の安否確認に追われていた。単身赴任先のアパートも流失したが「父から、もっとつらい思いをされた方の話を聞いている」と神妙に受け止めている。

 高田が震災後初めてプレーした4月23日。練習試合の相手が水沢で、先発は佐々木大だった。長男が「高田高校に気持ち良くプレーしてもらうため全力で投げた」と言うと、父親は「息子なりに心配してくれたみたいだね」と目を細めた。

 明志氏が06年に高田へ赴任し、当時中学1年の佐々木大も同校への進学を考えた。最終的に父の母校でもある水沢を選んだが、今も身近な先生だ。20日の2回戦(対黒沢尻北)後、「聞かれたら答える」というスタンスの父に質問。「投球時にインステップになっている」とアドバイスを受け「修正したら完投。当たった」と佐々木大は笑った。

 今は立場を考え「甲子園の話はしない」関係だが、昔から「父のチームと甲子園を懸けて決勝で戦いたい」と思ってきた。最後の夏に、震災を挟んでも変わらない夢を追う。【木下淳】