遠く離れた避難先で“再会”を夢見て野球を続けている球児がいる。浦和東(埼玉)の猪狩優樹捕手(2年)は、福島第1原発から約3・5キロの双葉(福島)から転入した。

 避難した当初は戻りたいという気持ちが強かった。ある夜、双葉から福島の湯本に転入した池田健太郎(2年)と電話で話した。

 「福島と埼玉、県は違うけど、お前とおれが野球でもう1回会える方法が唯一あるの分かるか?」。

 「分かんねえ」。

 「お互い甲子園に行くことだ」。

 猪狩は「くさい言葉で、照れくさかった」。だが、普段はふざけた話しかしない親友の思いがうれしかった。迷いが吹っ切れたような気がした。

 3月11日午後2時46分、双葉のグラウンドで打撃練習の投手をしていた。「でっけえ地震だ!」。グワングワンと回るような揺れに、四つんばいとなって耐えた。高台に逃げる途中にまた大きな揺れが来た。一緒に逃げていた仲間や先生が「ボウリングのピンのように転んだ」。

 富岡町の家には戻っていない。無事だった家族と、親類を頼って埼玉に避難した。あいさつが活発に交わされている雰囲気が気に入って4校の中から浦和東を選んだ。スパイクもグラブもない。「おれ、野球続けられるのかな」と弱気になった。だが、転入した日の昼休み、同学年の部員全員がクラスに来てくれた。「これからよろしくな」。声をかけられ、握手をした。もともとしゃべるのが大好き。今では級友とAKBの話題で盛り上がる。担任の先生からは「転校してきたようには思えないな」と言われている。

 浦和東は埼玉大会で3年続けて初戦敗退中。甲子園に過去3度出場した双葉ほど強くはない。だが「いろいろ教えてくれ」と、3年生が話しかけてくれる。野球への熱意は双葉に負けないと猪狩は思う。宮島理浩監督(31)は言う。「浦和東を背負う選手になってほしい。双葉の良いところを伝え、ここの伝統の土台を作ってくれれば」。夏の大会には背番号2を背負い、出場する予定だ。

 「まだ普通の生活をできていない人がたくさんいるのに自分は野球をできている。本当にありがたい。だからこそ元気を与えられるプレーをしたい」。浦和東のグラウンドでは、ひときわ大きな猪狩の声が響いている。【島根純】