<全国高校野球選手権:帝京8-7花巻東>◇7日◇1回戦

 花巻東(岩手)が帝京(東東京)に3度追いつきながらも敗れた。花巻東・大谷翔平投手(2年)は5回に150キロを計測。05年夏に駒大苫小牧・田中将大(現楽天)が記録した2年生の甲子園最速に並んだが、本調子ではなかった。

 花巻東の大谷が、世代最速の「名刺」を残し甲子園を去った。左太もも裏を肉離れしており、右翼手で先発。2点を追う4回1死一、三塁から救援した。登場だけで大きな拍手が起こり、注目の初球は148キロ。5回、さらに球場をどよめかせた。相手エース伊藤に投じた5球目が150キロを計測。2年生の甲子園最速タイだった。

 記憶に残る甲子園デビューも、佐々木洋監督(36)に言わせると「60%の出来」だった。7月2日に負傷し、岩手大会の登板は1回2/3だけ。痛み止め、はり治療で回復に努めたが「試合前から痛かった。下半身を使えず、上半身だけで投げた」。その状況で105球を投げ込んだ。腰を下ろすと激痛が走る中、バント処理で2度の封殺も決めた。

 151キロは、聖光学院の歳内と投げ合った4月の練習試合で計測した。調子が上向いてきた時に負傷し、寮の自室で「何で今なんだ」と眠れないほど、ふさぎ込んだ。励ましてくれたのが、親族を津波で失った捕手の佐々木隆や控え投手の佐々木毅ら同級生。「仲間や岩手のため」に投げ、5回2/3を3失点(自責1)と力尽きた。

 5月、エックス線で全身を撮影すると「骨端線」が残っていた。軟骨と骨の境にあり、これが消えるまで成長するという。191センチから「あと5センチ伸びる」と聞いた大谷。進化途中の怪腕は「来年の春(センバツ)、必ず甲子園に戻ってきて日本一になります」と誓った。もっと大きくなって帰ってくる。【木下淳】