<高校野球東東京大会:岩倉10-0北豊島工>◇7日◇1回戦◇神宮

 岩倉(東東京)の4番工藤孝史外野手(3年)が、難聴の両親に贈るアーチを放った。北豊島工戦の1回、左中間スタンドに先制2ランをたたき込み、2安打4打点と大暴れ。84年のセンバツで日本一に輝いた古豪が、97年以来17年ぶりの甲子園に向けて、5回コールド発進した。

 雨が降りしきる七夕の神宮に、4番工藤の願いがこもった打球が伸びた。1回2死二塁。真ん中高めに入った直球を、こん身の力で振り抜いた。

 左中間スタンドに飛び込む先制の2ラン。「神宮は広いから、入るか分からなかったです」と、はにかんだ。高校通算18本目の本塁打は、公式戦初アーチ。こんな試合で、こんな本塁打を打つために、厳しい練習に耐えてきた。

 雨のスタンドでは、父孝幸さん(57)が見守った。後天性の難聴で、日常会話には支障がある。母ゆみ子さん(55)も難聴で、工藤は手話を学び、親子の会話を続けてきた。

 「耳が聞こえない両親が、一生懸命働いてくれて、お金がかかる私立高校で、高校野球をやらせてもらっている。甲子園に出て、恩返しがしたいです」

 強い思いを胸に、冬場は毎日800~1000スイングをこなした。ベンチプレスは入学時65キロしか上がらなかったが、今ではチーム一の95キロを上げる。昨夏は、敗れた4回戦で無安打に終わり「自分のせいで負けたと思ってます。新チームになっても忘れたことがない」と、謙虚に練習に打ち込んできた。

 84年センバツでは、決勝で「KKコンビ(桑田氏、清原氏)」擁するPL学園(大阪)を破って日本一になった岩倉だが、甲子園は97年夏から遠ざかる。学校には記念碑が残るが、97年生まれの工藤は、当時の映像なども「見たことがないです」と言う。

 新たな時代を目指す4番として、4打点を挙げ大勝発進に導いた。磯口洋成監督(65)は「一番練習する子。両親の面倒を見るために、野球はこれが最後という気持ちでやっている」と言った。野球は、高校野球で終わりにする。だから、少しでも長い夏にしたい。雨上がりの神宮で誓ったこんな願いだって、きっとかなうと信じている。【前田祐輔】

 ◆工藤孝史(くどう・たかし)1997年(平9)3月12日、東京・板橋生まれ。小4から野球を始め中学時代は豊島シニアに所属。岩倉では1年秋からベンチ入り。好きな野球選手は巨人坂本。家族は両親、姉。178センチ、75キロ。右投げ右打ち。