最強助っ人の可能性を秘めたメジャー555発男が、新天地を求めて?

 電撃来日した。台湾プロ野球の義大を退団したマニー・ラミレス外野手(41=元レイズ)が21日、台湾から直接米国には戻らず、成田空港に降り立った。来日の目的は不明だが、手荷物としてバットを持参。米メディアには「引退はしない。大リーグ、もしくは日本でプレーすることも考えている」と話しており、日本球界入りへ直談判の動きをにおわせた。

 お騒がせマニーの本領発揮だった。ラミレスが成田空港の到着ゲートに姿を現した。赤ラメ色に輝くサングラスに赤のヘッドホンをつけ、迷彩色のパンツとTシャツという風采で付近をせわしなく歩き回り、いかにも怪しい雰囲気を醸し出した。行方を追った10人ほどの台湾メディアに囲まれたがコメントは発せず、群集に気付かれることなく、迎えの車に乗ってどこかに消えた。

 極秘来日だった。今季から台湾の義大でプレーしていたが19日、残る1週間の契約期間を破棄して退団を申し入れた。「米国に残した家族が恋しくなった」という理由だったがこの日、高雄国際空港から向かった先は家族が待つ米国ではなく、日本だった。ラミレスは台湾を離れる直前にスポーツ専門局ESPN電子版の取材に応じ、「オファーはもらってないが、プレーできるのに引退する理由が見当たらない」と現役続行の意思を明かした。

 理想は2年ぶりのメジャー復帰だが、過去に2度までも禁止薬物に陽性反応を示した「前科」があり、獲得に動く球団は少ないとみられている。そこでラミレスがもう1つの選択肢に挙げるのが日本球界入り。親日家で大のすし好きとしても有名で、2年前にはソフトバンクに入団を売り込んだと報じられた。月曜日には帰国予定だとし、ESPNには「日本、もしくはアメリカからのオファーを待つ。GMの皆さん、私にプレーの機会、もしくは打撃コーチの仕事をください」と訴えた。

 もし日本球界入りが実現すれば、楽天ジョーンズの434本塁打を上回る、メジャー最高実績の助っ人が誕生する。台湾では49試合で43打点、打率3割5分2厘と打ちまくった。メジャー時代から奇行やトラブルの話題も事欠かなかったが、「過去の失敗から多くのことを学んだ。人間的にも成長したと思う」と改心を誓うなど、「就活」への本気度をうかがわせた。

 ◆マニー・ラミレス

 1972年5月30日、ドミニカ共和国生まれ。幼少時にニューヨークに移住し、91年ドラフト1巡目(全体13位)でインディアンス入団。93年に初昇格し、99年に165打点で初タイトル獲得。01年からRソックス入りし04年に本塁打王、ワールドシリーズではMVPに輝いた。08年途中からドジャース、10年途中にWソックス移籍。レイズ入りした11年は開幕5試合で2度目の禁止薬物使用が発覚し、電撃引退した。昨季はアスレチックスとマイナー契約で現役復帰も昇格できず。メジャー通算は2302試合に出場し、歴代14位の555本塁打、同18位の1831打点。ポストシーズン通算29本塁打は歴代1位。球宴には12回選出。183センチ、91キロ。右投げ右打ち。