プロ野球最年長勝利記録を持つ中日山本昌投手(50)が9月30日、名古屋市内で会見を開き、今季限りでの引退を正式に表明した。世界最年長勝利がかかったプロ32年目だったが、8月の登板で指を負傷し大記録への挑戦を断念した。それでも晴れやかな表情で「奇跡のような野球人生だった」と語った。今日1日からの広島2連戦(マツダスタジアム)に向け、1軍に合流。史上初の50歳登板が「レジェンド」の花道になる。

 32年。途方もなく長い時間を夢中で走り抜けた。だから涙はない。「レジェンド」の声には50歳と思えない張りがあった。1時間の会見を晴れやかに進めた。

 「夢から覚めちゃったというのが一番の感想。もったいない。もう1回寝ようかな(笑い)。野球選手を目指した人が何人いるか知らないけど、その中で一番長くプレーさせてもらった。いろいろなことがあって、奇跡のような野球人生だった。自分で筋書きを作れと言われても難しい。世界で一番幸せな野球人生を送れたんじゃないかな」

 通算219勝。生ける伝説だった。投手一筋だが小・中学校では補欠。高校でも全国的には無名。プロ入り後は毎年クビを覚悟した。だが、誰よりも野球が好きだった。やめようと思ったことは今回が初めて。探求心としつこさがあった。「実は運動神経はよくない。投げることに少し秀でていただけ。野球じゃなかったら大成していない。このスポーツに出会えてよかった」

 引退後は野球評論家として活動する。ラジコンや車、昆虫飼育など多彩な趣味で知られるが、「星野(仙一)さんが『一生野球のことを考えて終われ』と(メディアで)激励してくださった。遊んでたら叱られちゃいますよ。野球を勉強します。ちょっとだけヒマができたらラジコンも…。クワガタは奥さんがダメなんで断念せざるを得ない」と笑わせた。

 数々の年長記録を残したが、続きがある。引退試合だ。今日1日からの広島2連戦に向け、会見前にはナゴヤドームで全体練習に合流。50歳まであと2日だった8月のヤクルト戦で痛めた左手人さし指は完治にはほど遠い。だが、谷繁兼任監督は「可能性はある」と展開を見て送り出す方針を明かした。登板すれば史上初の50歳台登板になる。

 「もう体を気にすることはない。投げられるかは状況次第だけど、全力でいきたい」。32年で一番悔しかったという8月9日の途中降板。最後のマウンドに魂を込めてマサ伝説を完結させる。【柏原誠】

 ◆山本昌(やまもと・まさ=本名・山本昌広)1965年(昭40)8月11日、神奈川県生まれ。日大藤沢から83年ドラフト5位で中日入団。最多勝3度(93、94、97年)最優秀防御率1度(93年)最多奪三振1度(97年)ベストナイン2度(94、97年)。94年には沢村賞に選ばれた。06年には史上最年長でノーヒットノーラン、08年には通算200勝を達成。14年9月5日阪神戦では49歳0カ月でのプロ野球最年長先発勝利を挙げた。186センチ、87キロ。左投げ左打ち。推定年俸4000万円。