広島新井貴浩内野手(39)が3回無死二塁、ヤクルト成瀬から左翼線に二塁打を放ち、史上47人目となる通算2000安打を達成した。15年までに1971安打。今季に入ってから早くも29本のヒットを放っての大台到達となった。

 1度は途絶えかけた記録だ。新井は13年には右肩の不調もあり打率2割6分7厘、本塁打15本。年俸ダウンで迎えた勝負のシーズンに現れたのがマウロ・ゴメス内野手だった。14年に加入したゴメスが4番一塁に定着。新井は押し出されるようにレギュラーを外れ、先発出場は阪神移籍後最少の36試合にとどまり、打率2割4分4厘。3本塁打といずれも新人時代を含めても過去最低の成績だった。

 そのオフに新井は大きな決断を下した。阪神からは、当時の年俸2億円から1億円以上の減額提示。野球協約で定められた減額制限を上回る大幅減俸だった。新井の決断は「自由契約を選ばせていただきます」。「年俸とかじゃなくもう1回競争できる環境に身を置きたかった」という思いからだった。阪神からの提示額よりもさらに低い年俸2000万円で、古巣広島への入団を選んだ。

 広島再入団後の新井は、自身の言葉どおりに真っ向から競争にぶつかっていった。15年開幕はベンチスタートだったが、4月中にレギュラーを奪い4番も打った。そのひたむきな姿勢は常に周りを惹きつけるものがあった。緒方監督も敬意を込め「ミスター」と新井を呼んだ。

 残り6安打で迎えた22日からの阪神3連戦では5安打を放ち王手をかけた。師弟関係の金本監督の前で達成を、と周囲は騒がしくなったが「近づいている感じはしたけど、試合に集中していた。ただ、勝てればいい」。淡々と、チームの勝利だけを願う姿勢は変わらなかった。

 今年1月、新井は恒例としている護摩行に臨んだ。燃えさかる2000本の護摩木の前で初心に戻るような、気の引き締まる思いを感じていた。そして2000安打については、こう言い切っていた。「目標ではあるが、通過点」と。