懸命に勉強した1年として、2012年が忘れられない。新しい何かを得ようという強い動機がなければ、あれだけ無心で机に向かうことは、もうないと思う。

 現在ロッテで2軍投手コーチを務める小谷正勝氏(71)の自宅に通い、投球について学んだ。在京セ・リーグ3球団で、33年間も休まず投手コーチ一筋(当時)という、宮大工のごとき職人。12年の1年だけが指導歴の空白で、月に1回、「投げる」という行為全般について2~3時間の座学を受けさせてもらうことになった。

 ご自宅におじゃまし、テーブルに向き合って聞く。ノートに書き込み、読み返して分からないことは質問する。後日、メールでやりとりして疑問を完全につぶす。「投球指導論」という大学の講義を受けているようだった。総論から入って、各論に突き詰めていく。難解なテーマの時は月に2度、もあった。年20コマほどの集中的な学びだった。

 小谷氏の自宅は、投球について研究する工房さながらだった。討論し、確認が必要となれば書庫から過去の文献やノート、セピア色の写真を持ち出してきた。立つとか歩くといった人間動作の原理原則に基づいて、投球フォームの10項目(別掲)を導き出した。

 授業は居間で行われた。奥には10畳ほどの部屋がある。中央の床がくぼんでいた。練習を終えた若い投手が訪れ、シャドーピッチングをしてできたくぼみだという。松井秀喜氏の素振り部屋が有名だが、狙って作ったのではなく、結果として出来上がった形には迫力が宿る。厳かな空間で必死にペンを走らせた。

 原理原則を大事にし、妥協を許さない人である。一足跳びに事を運ばない姿勢は私に対しても同じ。丸1年かかるのも無理はなかった。理にかなった(理想ではない)フォームの投手として、トム・シーバー、ペドロ・マルティネス、スティーブン・ストラスバーグの名前を挙げ、連続写真を比べた。知識の積み上げを怠らず、絶えず引き出しを蓄えているから指導者を続けられるのだと思った。

 知識が豊富なだけではプロの投手はついてこない。小谷コーチが名伯楽と呼ばれる理由は、もっと他にある。(つづく)【宮下敬至】

 ◆投球フォームの10項目(右投げの場合。左腕は文中の左右を入れ替える)

 <1>始動する前、まず目標の確認が大切。的は小さく、点で絞る。点で絞る意識を持てば動作を急がない。

 <2>軸を作っていく。目標を確認したら、右足かかとを90度内側に回転させ、プレートを踏み替える。かかとが着地したのを確認してから、脱力した左の「フリーフット」を、ゆっくり押し込みながら上げ始める。自然と左半身にねじりが入る。

 <3>右足に全体重を乗せ、右足の裏、膝を利用して左のフリーフットを上げる。爪先、膝でなく、足と腰の付け根から上げる。体力測定の踏み台昇降の要領で。

 <4>左足を上げきった時、両手の位置がヘソ付近か。多少の上下はいいが、体のセンターラインを外さない。

 <5>横から見て右の爪先、膝、足腰の付け根、頭の4カ所は、「串」が刺さったように縦1本か。特に右膝で力感を保ち、「やじろべえ」の形に入れているか。やじろべえの軸は真ん中だが、投球は「串」のラインが軸となる。軸でプレート板を蹴って、自力でジャンプできればOK。

 <6>作った軸の平行移動が始まる。移動に合わせ、グラブと球を持った両手が、ほんの気持ち遅れて「割れて」いく。その時、両手親指の位置関係に注目。上から→下→上へと動き、左右対称に割れていく。

 <7>軸が移動する時、右股関節の付け根、右膝は開いていないか。左肩はここで開いてもいい。

 <8>軸が移動する時、ボールを持つ右手首は、右足の膝付近まで下がっている。

 <9>軸が移動する終盤、フリーフットの左膝がタイミング良く伸びる。着地の瞬間、捕手から左足スパイクの歯が一瞬見えればOK。

 <10>右腕が、体に巻きついてトップに入っているか。肘は肩の高さまで上がっているか。グラブは目標方向に向いているか。

 後は腕を振り抜くだけ。自然とヘッドが走る。

 ◆小谷正勝(こたに・ただかつ)1945年(昭20)兵庫・明石生まれ。67年ドラフト1位で大洋入団。通算10年で285試合に登板し24勝27敗6セーブ、防御率3・07。79年からコーチ業に専念。11年まで在京セ・リーグ3球団で投手コーチを務め、DeNA三浦、ヤクルト石川、巨人内海らをエースに育て上げた。横浜時代の佐々木、ヤクルト時代の五十嵐ら、個性あるリリーフの育成にも定評がある。13年からロッテ2軍投手コーチ。