師弟で取り組んだ4年間の二人三脚が、球史に功績を刻んだ。日本ハム栗山英樹監督(55)が17日、プロ野球の発展に大きく貢献した人物に贈られる「正力松太郎賞」を受賞した。球団では初めての受賞者。若手選手を中心に、ときに大胆な采配で日本一まで勝ち上がった手腕を高く評価された。中でも二刀流の大谷翔平投手(22)を起用しながら成し遂げた功績は、選考委員の座長・王貞治ソフトバンク球団会長(76)も絶賛。入団当初は批判の多かった二刀流挑戦が、球界最高の栄誉によって認められた。

 2人で歩んできた道は、間違いではなかった。栗山監督が、球界最高の栄誉といわれる正力松太郎賞を受賞した。正力氏の書物は少年時代から読みふけった。「まさか自分がこの賞をもらえるなんて。いただける立場じゃない。まだまだ。だけど、行こうとしているところは間違っていないとメッセージをいただいているのかな」。恐縮しながら受賞の重みをかみしめた。

 ときに大胆にタクトを振りながら、シーズンは11・5ゲーム差を逆転、日本シリーズも2連敗からの4連勝で頂点に立った。中でも評価されたのが、二刀流・大谷の起用法。DH解除や1番・投手、選考委員の座長を務める王貞治氏は「他の監督がやりにくいことを、どんどん自分で取り入れた。これは確かに栗山監督の決断は素晴らしいですけど、結局その期待に応えた大谷君も素晴らしかった」と2人をたたえた。

 逆風に立ち向かってきた。二刀流挑戦に同監督は「批判があるということは真剣に見てくれているということ。批判はバネになる」と話すが、苦労は2人にしかわからない。1番投手で起用した7月3日のソフトバンク戦。当時を振り返り、こう言った。「あのとき『オレも翔平も、負けたら相当批判される』と話した。翔平は何も言わなかった。『わかってますから』という感じで部屋を出て行った」。初回先頭打者本塁打で勝利。高い壁を、その都度乗り越えてきた。

 王氏や長嶋茂雄氏からも激励を受けてきた。「励みになった。スーパースター、球界を引っ張ってきた人にしかわからない苦しさがあると思う」。また大谷も球界を背負って立つ柱へと成長。同監督は「マンガみたいな選手を。野球ってすごいなと思ってもらいたいと思ってやってきた。そういうことが(選考の)要因に入っているなら、うれしい」と目を細めた。

 正力氏は1934年にベーブ・ルースら大リーグ選抜を招き日米野球を開催した。指揮官は今年2月、ベーブ・ルースの誕生日に合わせ、大谷に開幕投手を伝えた。「もし意味があったんだったらうれしいね」。2人の挑戦は、球界を変えた。いや、本場アメリカのベースボールをも、変えるかもしれない。【本間翼】

 ◆正力松太郎賞 日本のプロ野球の発展に大きな功績を残した故正力松太郎氏を記念し、1977年に制定された。プロ野球界に貢献した監督、コーチ、選手、審判員を対象に、選考委員が選出する。受賞者は日本一に輝いた監督が多く、最多は第1回を含めて4度選ばれた王貞治氏。04年に米大リーグのシーズン最多安打記録を更新したイチロー(現マーリンズ)、13年にレギュラーシーズン24勝無敗で楽天の初優勝に貢献した田中将大(現ヤンキース)には特別賞が贈られた。