6回に受けた交代の打診には首を振り、8回までマウンドに立ち続けた。「こういう展開にした責任がある。1イニングでも多く投げたかった。中軸を任せて代わります、というわけにはいかなかった」。首位阪神を迎えた本拠地戦。自身の記録など、最後は頭から消えていた。勝利のためにマウンドへ立ち続けた。

 今季初黒星で52年ぶりの快挙は逃しても、確かな事実がある。65年に4連続完封の城之内邦雄氏(77)は、50歳差の後輩エースに敬意を払う。「俺の4連続、すごい記録だったんだね。菅野の3連続で新聞を見た時に俺の名前があって、初めて知ったんだ。菅野のおかげだ」。投手の分業制が確立した現代において、プロ野球史約80年のうち半世紀をさかのぼり、光を照らした。菅野は「再来週が甲子園。やり返します」。エースの誇りは時代を超えていく。【松本岳志】

 ▼菅野は初回に2失点し、連続完封がストップ。65年9月に城之内(巨人)が4試合連続完封を達成して以降、3試合連続は両リーグで12人いるが、リリーフ登板したために記録が止まったのが3人おり、失点でストップは9人。失点イニングを見ると、初回が73年渋谷(中日)95年グロス(日本ハム)17年菅野の3人で、4回と並んで多い。