阪神鳥谷敬内野手(36)が、DeNA戦で井納から2回の第1打席で右中間への適時二塁打を放ち、プロ野球史上50人目となる通算2000安打を達成した。

 阪神の生え抜き選手としては、83年の藤田平(通算2064安打)に次ぐ、2人目の偉業。本拠地甲子園での偉業達成は球団史上初となった。

 打った瞬間、スタンド全体から大歓声がわき上がった。金字塔を打ち立てた鳥谷には早大時代の後輩DeNA田中浩康とチームメイトの福留から花束が贈られた。

 二塁ベース上の鳥谷は2000安打の記念ボードを手にヘルメットを取って歓声に応えた。「打ったのはフォーク。いつもと変わらず次の打者につなぐ意識で打ちにいきました。打席に入った時の歓声がすごかったですね。ファンの方々の声援が後押ししてくれました」と感謝した。

 鳥谷は1981年(昭56)6月26日、東京都生まれ。聖望学園3年夏には甲子園に出場。卒業後は早大に進学し、3、4年時には4季連続優勝の立役者となった。03年秋には8球団による争奪戦が行われる中、自由獲得枠で阪神に入団。入団1年目の開幕戦、04年4月2日巨人戦(東京ドーム)に「7番遊撃」で先発出場。この試合でプロ初安打も記録した。

 2年目の05年に遊撃の定位置を確保し、同年の優勝に貢献。圧倒的な練習量でチームの中心選手に成長した。10年の104打点は遊撃手としてのプロ野球最多記録。また12年3月30日DeNA戦(京セラドーム大阪)から16年7月23日広島戦(マツダスタジアム)にかけて記録した667試合連続フルイニング出場はプロ野球4位。04年9月9日ヤクルト戦(甲子園)から継続中の連続試合出場記録はプロ野球2位だ。

 その間、数々の負傷にも負けずに歩み続けてきた。07年9月25日横浜戦で死球を受け、肋骨(ろっこつ)を骨折。10年5月8日広島戦の守備では味方と交錯して腰椎を骨折した。11年5月15日中日戦の守備では右手人さし指を裂傷。15年は4月に右わき腹に重傷を負い、さらに6月21日ヤクルト戦では背中に死球を受けて再び肋骨骨折。今季は5月24日巨人戦で顔面に死球を受け、鼻骨骨折。それでも、グラウンドに立ち続けた鉄人が、快挙を刻んだ。

 過去にベストナイン6度、ゴールデングラブ賞4度。オールスター出場7度。180センチ、78キロ。右投げ左打ち。