中嶋監督がいなければ…。4番で優勝に貢献したオリックスのラオウこと杉本裕太郎外野手(30)が、中嶋監督に感謝のメッセージを送った。

2軍から指揮官と一緒に歩んだ1年半。下積み時代が長かった男が主砲起用の期待に応えるべく、6年目の今季、3割30発で真価を発揮した。そんなラオウが絶対に伝えたかった言葉とは…。ラオウ覚醒に中嶋マジックがあった。

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風呂場から連れ出された男が、熱々の優勝を贈った。30歳で覚醒したラオウ杉本は、中嶋監督に感謝の気持ちでいっぱいだ。

「去年、監督代行になられたときにお風呂場で『一緒に1軍行くぞ!』と」

ファーム暮らしが続いていた昨年8月21日。大阪・舞洲の球団施設で2軍戦の出場に備えていた時のこと。前夜に2軍監督から昇格が決まった1軍監督代行から、居合わせた風呂場で“一緒に昇格指令”が出た。パンチ力を買われた。急いで服を着て京セラドーム大阪に駆け付けた。「今日が開幕。やったるぞ!」。「8番右翼」で先発して1安打など初陣勝利に一役買った。プロ4年目の19年まで通算13安打で、うち7本がホームラン。「昇天劇場」はここから始まった。

今季は初めて開幕1軍と開幕スタメンをつかみ、堂々と4番を張って32発で本塁打王が決定的。「全部、監督のおかげ。あのままの自分だったら…。そもそも1軍の試合に出られてない。チャンスをくれた人。その恩は絶対に返さないと」。東京ドーム看板直撃弾、月間MVP、交流戦優勝、初の球宴出場…。プロ野球人生が一気に花開いた。

風呂場で救いの手を差し伸べられたラオウはこの秋、本拠地のサウナ室で指揮官にささやかなお礼をした。10月2日のソフトバンク戦後、右手首付近に死球を受けた吉田正の骨折が判明。がっくりした中嶋監督と水本ヘッドコーチがいた。「監督、顔、暗いですよ。明るくいきましょう!」。V争いの佳境で受け入れがたい現実だったが、杉本の一言で表情が戻った。“裸の付き合い”は仲間とも欠かさない。「勝ち試合終わりのサウナは最高! 水風呂にも入って“ととのう”をして…。同じタイミングで入った選手と、その日の反省もして」。その高いコミュニケーション能力でもチームを支えた。

レジェンドの金言も覚醒を後押しした。入団直後の16年1月。神戸で自主トレ中だった当時マーリンズのイチローから「カウントが追い込まれたら冷静に」と授かった。「今年、急に思い出した。それまでは全球強振。考え方が変わった」。バットも軽量の楽天浅村モデルを取り入れるなどして課題の確実性が増し、打率3割1厘。球団で「打率3割&30本塁打」は08年カブレラ以来で、日本人選手では89年門田博光以来32年ぶり。球団名がオリックスとなってからは生え抜き初の快挙となった。

「『一緒に行くぞ!』から始まった、僕の1軍生活。中嶋さんに絶対、言いたかったことがあるんです。胴上げのときに『監督、一緒に行きましょう!』」

最高の恩返しが、ここに結実した。【真柴健】

◆オリックス田口外野守備走塁コーチ(仰木元監督には)報告しなくても、見ているでしょ。いつでも見てくれていると思っている。今ごろ天国で酒を飲んでいます。おまえたち、よくやったなと言ってもらいたい。神戸のファンにも喜んでもらえたと思う。