阪神城島健司捕手(36)は28日、兵庫・西宮市内で会見し、今季限りの現役引退を発表した。阪神移籍後、左膝、腰を計3度手術した影響で、捕手として復帰できなくなり、ユニホームを脱ぐ決意を固めた。来季4年契約の4年目だが、推定4億円の年俸は辞退する。1軍での引退試合も行わず、今日29日、ウエスタン・オリックス戦(鳴尾浜)で最後のマスクをかぶり、ファンと野球に別れを告げる。

 生涯一捕手の「信念」が、城島に引退を決断させた。「自分は捕手ですし、捕手だったからこそ、18年間ユニホームを着ることができたと思っています。捕手をできなくなった時はユニホームを脱ぐ時だと若い時から思っていましたし、ずっとそう言ってきたので」。

 阪神で3年目を迎えた今季、古傷の左膝、右肘の状態が思わしくなく開幕捕手を断念した。一塁手に挑戦したが、5月に椎間板ヘルニアで戦線離脱。手術に踏み切ったのも球宴明けからマスクをかぶるという野望を持っていたからだった。だが、右肘は回復せず、8月に捕手復帰は絶望的となった。この時点で引退の考えを球団に伝えた。そして、チームのCS進出がほぼ絶望的となった今月中旬、再び南球団社長に引退の決断を報告したという。

 苦渋の決断を真っ先に伝えたのは家族、そして、新人時代からの恩師、ソフトバンク王球団会長。「現役は1回しかできないんだから、君の捕手へのこだわりはわかるけれど、他のポジションで、まだ頑張ってみないか」と言われたという。

 それでも「王さんの下で捕手を始めさせてもらって、自分は捕手なので、捕手ができなくなった時はユニホームを脱ぎます」と決意は揺るがなかった。

 恩師とのやりとりを振り返る目には涙があふれた。『試練は乗り越えられる者にしかやってこないんだよ』-。王会長にもらった言葉は、苦しいリハビリ中の励みだったという。

 引き際もまた、城島らしかった。10年から、阪神と結んだのは年俸4億円の4年契約。1年の契約を残していたが「タイガースさんは僕を信頼して契約をしてくれた。信頼を自分で裏切ってしまったんで、ファンに対しても、球団に対しても、これが今、自分にできる精いっぱいのけじめです」と一線を引いた。今年の株主総会で「不良債権」と批判された男は潔く、ケジメをつけた。

 「来年、捕手ができないとわかってて野球をしてしまうと、大好きな野球を嫌いになってしまいそうなので。捕手として、捕手のまま…引退します…」。今日29日、城島は鳴尾浜球場の2軍戦でマスクをかぶる。昨年6月以来、482日ぶりのマスク。そして、最後のマスクをかぶる。【鈴木忠平】

 ◆城島健司(じょうじま・けんじ)1976年(昭51)6月8日、長崎県生まれ。94年ダイエー入団。05年11月にFAでマリナーズ移籍。09年阪神移籍。03年パ・リーグMVP。ベストナイン6度、ゴールデングラブ賞8度受賞。オールスター8度出場。182センチ、90キロ。右投げ右打ち。<城島のプロ18年>

 ◆プロ入り

 別府大付(現明豊)から94年ドラフト1位でダイエー入団。1年目は出場12試合。

 ◆レギュラー定着

 3年目の97年に120試合に出場。レギュラーとなる。

 ◆リーグ優勝

 99年は初めて全135試合出場、打率3割をクリア。35年ぶり日本一の原動力に。

 ◆MVP

 02年に右鎖骨を骨折した影響を感じさせず、03年は打率3割3分、34本塁打、119打点で井口、松中、バルデスとともに、史上初の100打点カルテットを形成。MVPを獲得。

 ◆アテネ五輪出場

 日本代表正捕手としてアテネ五輪に出場、銅メダルを獲得。

 ◆メジャー移籍

 05年オフにマリナーズと3年契約を結び、日本人初のメジャー捕手となる。

 ◆WBC連覇に貢献

 09年大会に参加し、9試合に出場。第1ラウンド韓国戦で本塁打を放つなど、連覇の立役者となった。

 ◆日本復帰

 09年オフ、マリナーズとの契約を2年残し日本球界への復帰を決断。阪神と古巣ソフトバンクからラブコールを受け、阪神入りを選択。

 ◆虎1号

 10年の開幕2戦目、3月27日横浜戦(京セラドーム大阪)で、延長11回にサヨナラ本塁打。阪神で33本塁打を放つ。

 ◆苦闘

 同11月、左膝半月板縫合手術を受ける。その後も11年8月に同箇所を再手術。今年5月に腰椎椎間板ヘルニアの除去手術を受けるなど故障に苦しむ。