元巨人監督で日刊スポーツ評論家の川上哲治(かわかみ・てつはる)氏が、28日午後4時58分、老衰のため、東京・稲城市の病院で死去した。93歳だった。

 巨人長嶋茂雄終身名誉監督(77)も恩師の死去を悼んだ。「巨人軍の4番打者として、監督としてバトンを受け、その偉大さを感じた毎日でした」とコメントした。川上氏が現役引退した58年に入団し、4番を継承。74年に川上監督が勇退すると、75年から監督職を引き継いだ。16歳年上の川上氏と同じく、常勝軍団にかかる特別な重圧を味わってきた。

 80年に監督を退任した際、関係を取りざたされることもあった。しかし、92年12月、川上氏の「文化功労者顕彰・勲4等旭日小綬章の受章を祝う会」に出席。笑顔で握手を交わした。「私が新人の時、一緒の車に乗せていただいたことがあるんです。やさしい先輩でした」と祝辞を述べた。

 監督と主砲という間柄で、金字塔の9連覇を成し遂げた。「選手としては赤バットでプロ野球の人気を集め、監督としては勝負にも選手教育にも一切の妥協を許さない厳しさで、前人未到のV9に大きな役割を果たされました。巨人軍、プロ野球のあるべき姿を教わるなど、私自身大きな影響を受けた先輩の1人です。ご冥福をお祈り致します」。尊敬の念を込め、哀悼の意を表した。