<楽天9-4ソフトバンク>◇30日◇コボスタ宮城

 史上初の珍事で白星が転がり込んだ。楽天のドラフト6位ルーキー横山貴明投手(23)がソフトバンク戦でプロ初登板。1-1の7回2死二塁、3番手で上がったが、今宮に初球を打たれ勝ち越された。だが、今宮は二塁を狙い憤死。すると、その裏、味方打線が打者13人で8安打8得点と逆転し、横山が勝利投手となった。プロ初登板で1球勝利は史上初めて。被災地出身の右腕が、想定外のデビューを飾った。

 ベンチ裏から出てきた横山は、自分でも苦笑いしかなかった。「勝ちがついたのはすごくうれしいですけど、それ以上に恥ずかしいです」と正直だった。80年を数えるプロ野球史上でも初となるデビュー戦1球勝利を飾った。ただし、打者を抑えたわけじゃない。同点の7回2死二塁。ソフトバンク今宮に初球を中前に運ばれた。140キロ直球は高かった。勝ち越しを許したが、今宮は二塁憤死で攻守交代。その裏、味方打線の爆発でもらった白星だ。

 だから、恥ずかしさが先に来た。7回裏。最初は申し訳なさそうにベンチの端に座っていた。1死後、西田が四球を選ぶ。そこからジョーンズの押し出し四球を挟み6連打。さらに2死から2連打と続いた。打者13人で8安打8得点。猛攻を目の当たりにし、横山は何とも言えない顔になった。心からは笑えない。「逆転した後は、藤田さんや岡島さんに、すごくちゃかされました。『あるぞ、あるぞ』と言ってくれて」と照れた。

 幸運と巡り合ったが、背負ったものがある。実家は、福島・浪江町。福島第1原子力発電所が見え、人材派遣会社を営む父は原発に作業員を紹介していた。早大在学時に起きた東日本大震災で全てが変わった。実家は帰還困難区域に指定され、立ち入れなくなった。家族はばらばらになった。被災地出身選手として、思いを聞かれる機会は少なくない。堂々と、こう言う。

 「被災地を代表する選手になりたいです。被災地のど真ん中、原発事故のど真ん中の出身で、なおかつプロ野球選手になれた。野球も仕事だけど、福島の今をアピールするのも仕事です。震災を忘れられるのが怖い。まだ仮設に住んでいる人は、いっぱいいます」

 ウイニングボールは、今は福島・伊達市に暮らす両親に贈る。「次はしっかり抑えて、勝ちをつけたい」と言った後、あらためて「被災地代表の野球選手として頑張っていきたいです」と決意した。【古川真弥】

 ◆横山貴明(よこやま・たかあき)1991年(平3)4月10日、福島県浪江町生まれ。浪江中では相双中央シニアに所属し、2年冬に内野手から投手に転向。聖光学院では2年春夏と3年夏に甲子園出場。2年夏は2試合に登板し8強。早大では3年春の大学選手権で準決勝の九州共立大戦に救援で勝ち、優勝に貢献。東京6大学リーグ通算26試合で2勝3敗。13年ドラフト6位で楽天入団。180センチ、85キロ。右投げ右打ち。推定年俸720万円。

 ▼1球勝利=横山(楽天)

 30日のソフトバンク19回戦(コボスタ宮城)で記録。今年の7月22日金田(阪神)以来でプロ野球37人目(パ18人目)。楽天では08年10月7日佐竹、11年8月25日山村に次いで3人目。横山はこれがプロ初登板。プロ初勝利を1球で記録したのは今年の6月15日土田(巨人)以来6人目になるが、デビュー戦で1球勝利はプロ野球史上初めてになる。