<楽天10-12日本ハム>◇21日◇コボスタ宮城

 日本ハム稲葉篤紀外野手(42)が、思い出多い仙台でのラスト試合を値千金の一打で締めた。楽天戦で1点を追う9回1死二塁。代打で登場し、守護神ファルケンボーグから中越え同点適時二塁打を放った。この回一挙3点を奪う土壇場での逆転劇につなげた。稲葉ジャンプ発祥、通算2000安打達成など数々の記録を残してきた地に、劇的白星を1つ付け加えた。

 変わらないプレーが、仙台への置きみやげだった。8回に逆転された直後の9回。1死二塁。稲葉が代打で打席に立った。カウント2-2。「変化球をマークしながら、直球に対応していこうと思った」。ファルケンボーグの真ん中149キロ直球を中堅越えに運んだ。代名詞の「全力疾走」で二塁まで到達。歓喜する一塁側ベンチへ向け、両手を上げガッツポーズした。

 冷静だった。先頭の代打谷口が右中間を破る打球で三塁を狙ったが憤死。反撃ムードはしぼみかけた。続く代打杉谷が遊撃内野安打。打席へ向かう直前。稲葉は、栗山監督の元へ歩み寄った。「走らせますか?」。杉谷の盗塁を予測。指揮官からの「1ストライクをくれ」との指示を受け、待った。2球目。杉谷が二盗成功で1死二塁とチャンスを広げた。カウント1-1からは、1対1の勝負に集中した。熟練した勝負勘がベンチとの一体感、快打を生んだ。栗山監督は「引退するから使っているわけじゃない。経験だよね」と、以心伝心の仕事ぶりに深くうなずいた。

 アドレナリンが自然と湧き上がる舞台、それが仙台だった。この日も9回に打席から眺めた右翼席上段での「稲葉ジャンプ」。代名詞ともなった応援スタイルは仙台で生まれ、全国に広がっていった。いつも初心を思い出させてくれる球場だった。11年の球宴第3戦でMVPを獲得。12年にはプロ通算2000安打を達成した。

 稲葉

 不思議な縁を感じるよ。いろんな思い出がある。これで最後だと思うと寂しい気持ちだね。

 コボスタ宮城でプレーするのは、現役生活ではこの日が最後になった。「良い思い出になった」と目尻に無数のしわを刻み、笑った。自身の同点打だけではない。同一カード3連敗を阻止しての勝利は、両チーム合わせて22安打、22得点の乱戦を制しての粘りの1勝になった。

 稲葉

 1つ勝つことの苦しさを、みんながわかった試合。良いことも悪いこともあったが勝つことが出来て良かった。

 クライマックスシリーズ(CS)進出をかけてのラストスパート。あきらめずにつかんだ勝利の味を、最後の仙台でかみしめた。【田中彩友美】<稲葉と仙台>

 ◆稲葉ジャンプ(06年春)

 フルキャスト宮城で初お目見えした。禁止されている鳴り物に代わる応援手段として、応援団がチャンス時の打席にジャンプを付け加えてみようと工夫。

 ◆球宴MVP(11年7月24日)

 第3戦で3番一塁でスタメン出場。1本塁打を含む3安打3打点をマークし、7度目の出場で初のMVPを獲得した。当時の38歳11カ月での猛打賞は最年長記録となった。

 ◆2000安打(12年4月28日楽天戦)

 1回に楽天ヒメネスから先制の右前適時打を放ち、史上39人目の記録に到達。2死一、二塁の場面で、稲葉ジャンプの後押しに応えた。