IWGPインターコンチネンタル選手権は、王者内藤哲也(34)が棚橋弘至(40)を退けて2度目の防衛を果たし、世代交代を印象付けた。

 内藤が棚橋を超えた。勝利の3カウントを聞くと、大の字でマットに横たわる憧れだった男を見下した。そして、その心臓に拳を突き立てた。さらに一礼-。「これで1つの時代が完全に終わったよね! さみしいけれど、これも運命だから」。

 思い出したのは06年。デビュー直後に、棚橋は言った。「早くオレのところに来いよ」。その時を述懐し「今はさ、棚橋はオレの前にはいない。はるか後ろにいる存在だから」。言葉でも完全に見下した。

 開始からお株を奪った。相手得意の膝への集中攻撃。中盤にはスリングブレイドを幾度も受けながら、機を待った。ハイフライフローに痛めた膝で捨て身の剣山を突き刺すと、左膝を抱えてもんどり打ちながら勝負に出た。スイング式裏DDT、さらにデスティーノで締めくくった。

 99年10月10日。高2の内藤が会場で目に焼き付けたのは、棚橋のデビュー戦だった。憧れ、何度も届かない現実を味わった。今、立場は変わった。15年のメキシコ遠征で、ユニット「ロスインゴベルナブレス」(スペイン語で制御不能なやつら)に出合い、日本に持ち帰った。自由奔放なスタイルはファンを熱狂的に引きつけた。大ブレークした昨年は、年間10億円のグッズ売り上げのうち20%を占めた。

 この日の会場でも棚橋より声援は上回った。だからこそ、余裕で言える。「早くオレのところ(位置)に戻ってこいよ。戻るのは自由だから」と。

 試合後には10月に眼窩(がんか)底骨折を負わせたエルガンから挑戦表明されたが、「何カ月もずる休みしてたやつが何言っている」と冷笑。憧れに引導を渡した制御不能な男から、17年も目が離せない。

 ◆内藤哲也(ないとう・てつや)1982年(昭57)6月22日生まれ、東京都足立区出身。05年11月、後楽園ホールでの公開入門テストでただ1人合格。06年5月27日デビュー。16年4月にIWGPヘビー級王座を初奪取。昨年9月にIWGPインターコンチネンタル王座獲得。13年9月に獲得したNEVER無差別級王座と合わせ、史上初の3大タイトル獲得者。16年のプロレス大賞MVP。180センチ、102キロ。