先日、来年1月に東京・歌舞伎座で幸四郎あらため2代目松本白鸚、染五郎あらため10代目松本幸四郎、金太郎あらため8代目市川染五郎を襲名する親子3代のスチール撮りが歌舞伎座の舞台上で行われました。幸四郎から息子染五郎への大名跡の「生前贈与」という形で、襲名本番に向けて、今後も盛り上がっていくでしょう。

 5月にも歌舞伎座で、彦三郎あらため初代坂東楽善、亀三郎あらため9代目坂東彦三郎、亀寿あらため3代目坂東亀蔵の襲名と、新彦三郎の長男の初舞台と6代目亀三郎襲名が行われます。これも名跡の生前贈与ですが、実は、歌舞伎界きっての大名跡である「市川団十郎」でも同じような話があったのです。

 13年に亡くなった団十郎さんが生前、松竹側に「しかるべき時期に名前を息子(海老蔵)に譲りたい」という意向を明かしていました。団十郎を譲った後は、2代目団十郎の俳名で、自身の俳名でもあった柏莚(はくえん)を名乗る考えだったそうです。団十郎さんは04年、息子の海老蔵襲名披露公演の途中で急性前骨髄球性白血病のため入院しました。その後も白血病と闘いながら、復帰と入院を繰り返していました。そのため、団十郎さんも自分が元気なうちに名跡を譲ろうと思ったのでしょう。しかし、歌舞伎座再開場を前に亡くなり、「団十郎」の生前贈与は実現しませんでした。

 団十郎さんが亡くなった1カ月後に勸玄くんが生まれており、団十郎さんが元気だったら、団十郎さんの初代柏莚、海老蔵の13代目団十郎、勸玄くんの8代目市川新之助という親子3代襲名もあったかもしれません。団十郎さんが亡くなってから、海老蔵の団十郎襲名の話もあったのですが、その時は海老蔵は断ったそうです。海老蔵としてはやりたいことがまだあるという思いがあったのでしょう。それを裏付けるように、自主公演で新作歌舞伎に挑んだり、ニューヨークやシンガポールなど海外で公演するなど、活動の幅が広がっています。父団十郎さんが襲名したのは39歳の時で、今、38歳の海老蔵の襲名も20年の東京五輪前後には実現するでしょう。

 私が歌舞伎の襲名を初めて取材したのは79年の市川左団次で、80年の彦三郎、81年の幸四郎親子3代、85年の団十郎襲名も取材しています。期せずして、再び、彦三郎、幸四郎の襲名を取材できることにある種の感慨を覚えますが、できれば、団十郎襲名も「記者」でいる時に立ち会いたいと思っています。【林尚之】