川島なお美さん(享年54)は亡くなる8日前まで舞台に立ち、「女優」としてのこだわりを持ち続けた。降板した11月のミュージカル「クリスマス・キャロル」で共演予定だった川崎麻世(52)は「死ぬまで女優でいたかったんだろうな」と思いやった。自宅マンションの表札はイタリア語で「女優」という意味の「ATTRICE」と記された。女優のプライドでがんと最後まで闘った。

 女優のプライドは、表札にも表れていた。通常、住居の表札は名前や会社名が書かれるが、川島さんの自宅マンション1階、オートロックのインターホン上部にある住民の名前が書かれた表札には「ATTRICE(アトリーチェ)」と記されていた。イタリア語で「女優」の意。女優にこだわった川島さんならではの表札だった。

 「クリスマス・キャロル」で共演予定だった川崎は、川島さんを「非常にストイックで自分に厳しく、芝居でも妥協を許さなかった。負けず嫌いで絶対に弱音を吐かない人」と振り返った。川島さんはやせ細った体で9月3日からミュージカル「パルレ」の舞台に立ったが、16日の長野・伊那公演で力尽き、17日から降板。川崎は「やはり死ぬまで女優でいたかったんだろうな。人間としても女優としてもすてきな女性でした」と、その魂をたたえた。

 81年から川島さんと文化放送「ミスDJリクエストパレード」のパーソナリティーを務めた千倉真理さん(53)も、女優を目指した川島さんの思い出を明かした。「初めて会ったのは、私が大学1年で、川島さんが大学3年の時。あの頃から目指すものが違っていました。『女優になりたい』と言って、強い意志と気合の入り方の違いを感じました。普通の女子大生とは違いました。当時はアイドルタレント的な仕事をしてましたが、周囲に『最終的には女優になりたい』と言ってました」。

 取材によると、川島さんは40代の時、ひそかに劇団四季ミュージカル「マンマ・ミーア!」のオーディションを受けていた。結局、出演はかなわなかったが、有名になっても、さらに飛躍するための挑戦をいとわなかった。女優として生き抜く、執念とプライドを最後まで失わなかった。