引退を表明した島田紳助(55)と吉本興業の水谷社長の会見内容は以下の通り。<2人の一問一答>

 水谷社長

 このたび、島田紳助につきまして、本日限りで芸能活動から引退することになりましたので、ご報告申し上げます。調査によると、平成17年6月~平成19年6月、暴力団関係者との間に親密さをうかがわせる交流関係をもっていたことが判明しました。

 8月中旬に口答で情報を入手し、確実性を検証した結果、信頼が高いとの判断で本人と面談、事実確認しました。本人は事実を認めて深く反省しております。

 メールをやりとりをしていた人物の個人名、団体名はふせますが、島田とは数十年来の友人関係にありました。その後、残念なことにその友人は暴力団になってしまいましたが、友人関係を保っていました。

 長年にわたり、多数のテレビ番組でメーン司会者を務め高いモラルが望まれる。厳格な態度での判断、マネジメント契約解除の厳しい処分を考えていたが、本人から自ら引退、タレントとしての最も重い申し出があったため、受け入れることにしました。

 各タレントのコンプライアンス研修を毎年行っている。今回はまことに残念。今後とも取り組みを強化し、このような事態にならないようにしていく。

 頭を下げる島田紳助。

 島田

 今日をもって芸能界を引退することにしました島田紳助です。やめるわけですから、守るべきものはないので、すべて正直にしゃべろうと思っています。ただ、個人名は出さないようにと言われましたので、言える範囲の中ですべて、正直に話したい。まず、十数年前なんですけど、僕の解決できないトラブルがありまして。自分自身、芸能界を去ろうと決意しました。そのとき、昔からの友人であるAさんなんですけど、Aさんとも数年に1回、会うペースだったのですが、Aさんが自宅に電話してくれた。Aさんに話したら、Aさんはやくざ組織のBさんにその話をして、僕の悩みを解決していただいた。正直言いまして、人として重みを感じました。Bさんは「お前は芸能界の人間、おれは組織の人間。その人間が会うと君にはマイナスだ。テレビの世界で頑張ることが恩返しになるのだから、お前とは会わずに頑張ってくれ」。人間として、ありがたい言葉だと思いました。「心と心がつながっていればいい」と言われて感謝しました。個人的に、その方と直接メールすることはなかった。

 ただ、人として感謝の気持ちがありました。今まで、頑張ってこれたのも、あのときやめなかったあのおかげだと。Aさんに「ありがとうございました。今年1年、無事終わりました。感謝しています」と、Aさんにメールを送って伝言をお願いしたことはあります。

 直接はなかったですが、たえずAさんを通じて伝言をしてもらってました。十数年のお付き合いの中で、Bさんと会った回数は約4、5回。今から4年半前に、バーをオープンしまして。そのとき、お越しになって、いいお酒を飲まれ、お金を置いていってくれました。僕が6年前にトラブルを起こしたときに、自宅謹慎していたとき、自分はどうしたらいいか分からない時があった。先輩方からメールや電話をいただいたときも「ありがとうございます。あなたがいてくれるから心強いです」と、芸能界の先輩と同じように返したように、Aさんを通じてメールを送ったりしていました。

 私のお店にも来られたことがあるらしいが、頻繁だとは思ってない。会ったのは、十数年で数回です。僕の中で悪いことをしてるという意識はなかったです。この付き合いは、芸能界のルールとして違反じゃないという認識でおりました。日曜日、吉本に来るように言われメールを見せられて「これを送りましたか?」と言われました。「送りました」と。抜粋してみると「2人がいてくれると心強いです」。6年前、へこんでいるときに皆さんに対して贈った言葉です。本当に十数年で偶然会ったのを含めて4、5回ですと、すべて正直に語りました。

 でも「紳助君、業界のルール、モラルとしてやってはいけない」と言われ、認識の甘さを知りました。僕は大丈夫だと思っていた。自分の中でセーフと思っていたのがアウトと説明された。僕が間違ってたと心から反省し、自ら日曜の夜、会社に引退するとお伝えしました。2時間前に、吉本から引退を受け入れると。

 僕も吉本のベテランになり、後輩が700人ぐらいいます。僕がいいかげんな処分を申し出たら、後輩に示しがつかない。若いヤツに普段から厳しいことを言っている僕が、あいまいなことではいかん。自分が引退という言葉を使って引退すれば、若い人も過ちをおかさないと思い、決断した。

 僕はここ数年間、わけのわからん記事をいっぱい書かれました。やくざを使って競売物件を買ってるとか。カジノに出入りしてるとか、命をかけてもありません。僕がもし、本当にそんなことしてたら、みなさんの前で腹を切ります。週刊誌に書かれても我慢してきました。明日から一般人なので、うそを書かれたら告訴する気持ちでいます。明日からタレントでなく、静かに暮らしていきたい。後輩たちには、二度と僕のような甘い考えで接しないでもらいたいと思います。以上、僕の状況と思いです。すべて今のがすべてです。週刊誌にはしょっちゅう、会ってるように書かれましたけど、最後にお会いしたのは4年半前。それも20分ぐらいですよ。6年前の残っているメールは事実です。でも、本当に、付き合いがないからAさんを介して伝言していた。僕の中ではセーフと思ってましたがアウトと知った。一番重い処罰を自分に与えました。スポンサーの方々、テレビ局関係者の方々、少しかもしれませんがファンの皆さま、申し訳ない気持ちでいっぱい。

 -引退に納得しているかどうか。

 島田

 引退しろと言われたわけではないですし、僕が何も言わなかったら謹慎処分だったと思う。でも謹慎処分だったら、若いヤツに示しがつかない。一番重い処罰が引退だと思いましたので、引退すると。

 -かなり前のメールですが、吉本から写真とか内容を提示されたのか

 島田

 「このメール、見覚えありますか」とメールの文書を見せられた。間違いありませんと。この部分だけ見ると「お2人がいてくれるから心強いです」というメール、時期は僕が謹慎してる時期なんです。謹慎してパニックになってる時でしたから、先輩方からメールをもらっても、失礼ですけど、同じ文面を返してました。「あなたがいてくれるから支えになってます」「感謝してます」とか。いただいた方全員に、返しました。僕の中では特別ではなく、感謝の気持ちで返させていただきました。

 -なぜ今になって提示されたのか、理由は

 島田

 まったく理由は聞いてない。「こういうもんがあるけど知ってるか?」といきなり言われたので。事実なので。僕の中ではセーフだと思ってた。Aさんに「あなたは暴力団ですか?」と聞いても「やくざではない」と。そうじゃないと思って、Aさんを介してメールをしました。

 -社長に聞きます。メールは写真かなにか

 社長

 メールですので写真ではございません。文書を確認した。8月中旬ごろ、外部の方から情報提供がありまして。確認して本件にいたっております。

 -通常、携帯メールは時間がたつと消去されて見られなくなる。なぜ、古い物が見えたのか?

 意図があって吉本に持ち込まれたのか?

 社長

 意図を持って持ち込まれたかどうかに関しては、お答えしかねます。情報提供者にもご迷惑がかかるので差し控えたい。

 -引退に至る過程で迷いはなかった

 島田

 仲間には伝えました。みんな、引き留めてくれました。目の前で涙を流して引き留めてくれる人もいましたが、揺らぐことなく自分の決めた道を進もうと。いけないことをしたと承知してますが、お世話になった方に対して「会ったらいかん」と言われてた。でも、心の中で、感謝する気持ちを消したらいかんと思いました。「会ってはいかん。心でつながってたら、会う必要がない」という言葉は、僕の人生でも重く残った。トラブルを起こしたころ、その方にAさんを介して「心は1つですよね」と送りました。組織と付き合っているという意味ではなく、送ったメールです。頻繁にお会いすることはありませんでしたし。偶然、近くにいて会ったこともあったし、十数年で5回程度。交際という認識はなかったから、セーフだと思ってました。週刊誌にあることないこといっぱい書かれて悔しかった。明日からは遠慮せんと告訴できるなとほっとしている。

 -こんな形での引退に後悔は

 島田

 芸能界のルールがこれといわれれば、間違っていることに気づかなかった。「ペーペー」なタレントでなく、先輩の僕が800人の後輩に示しがつかん。その方(Bさん)とメールもしないし、お会いすることはない。でも、道であったら遠くから頭を下げます。人として「あのときの感謝を持ってる」ということは、誇りにしたい。

 -6つのレギュラーがある。関係者に話したか

 島田

 吉本からテレビディレクターに話してもらいました。「引退だけは撤回してもらえないか」と言われまして。それには、(泣きそうになる)皆さん方の熱い思いが本当にうれしかったです。でも、ルール違反はルール違反ですから。軽い謹慎はよくないなと思いますんで。悪いことをした僕ですから、一番重い罪を自ら着せようと。前もって(引退の決意を)教えたのは、ダウンタウンの松本だけです。

 -松本さんからは

 島田

 「やめないでください」と。18で吉本に入って、21でデビューして、29で漫才をやめるとき、漫才をやめるきっかけを作ったのが松本ですから。ダウンタウンの漫才を見て「紳竜の漫才は終わりだ」と思いましたから。電話で「やめないでくれ」と言ってくれたけど「最後は、自分のわがままを通させてくれ。めちゃめちゃかっこわるい、ぶざまな最低な終わり方ですわ。でも、ほんの少しだけ自分の美学を通させてくれ」とお願いしました。

 -引退への迷いは

 島田

 日曜日に吉本には「気持ちは分かりました」と言われました。今日まで、気持ち揺れることなく、3日間、まったくぶれませんでした。

 -家族は?

 島田

 嫁は「やりたいようにやったらいい」と。娘、長女は「本当に後悔しないのか?

 あなたは強運の持ち主だから、また何かを考えるよね」と。

 -芸能生活を振り返って

 

 島田

 すばらしい人にめぐりあえた。すばらしい人ばかりだった。自分が心の師とあおいでいる上岡龍太郎さんが、引退されたのが55歳。今は自分が55歳で。(上岡さんから)「絶対、君は引退したらあかん」と何年も前から言われていたけど、同じ年での引退に運命を感じます。

 -思い出すシーンは?

 島田

 6年前、トラブル起こして自分ではだめかと思ったとき、温かく迎えてくれて。「ヘキサゴン」があたって、子供がスターになってくれたことがうれしい。上地雄輔も泣いてくれた。上地はしっかりしてる。「一生、父ちゃんを守ります」と。

 -よかったことは?

 島田

 いろんな方とお会いできたのは財産。孫正義さんとの食事は感動しました。幕末の偉人としゃべってるようでした。お礼のメールを送ろうと思ったら、僕の携帯ドコモで「これはいかんな」とソフトバンクを買いに行って、1回だけメールを送って。それで契約解除して、ドコモを今でも使ってるんですけど。孫正義さんにお会いできたのは一番の財産。「紳助の100の教え」が一番売れた本になったとき、一番うれしかったです。今日は「101個目」ですわ。あほな僕ですけど、毅然(きぜん)とした態度で自分で一番重い処分を与えました。

 -数年前のトラブルをAさんに頼んだことに後悔は?

 島田

 頼んでいません。Aさんが聞いて、心配して電話をくれた。Aさんが知らない間にBさんにお願いして解決してくださった。

 -Bさんに解決してもらったことが分かったときは?

 島田

 そのときは、やめるつもりでいた。解決できたことに一番、ほっとした。ただ、「これはよくないことが起こった」という認識があった。接触してはいけないと思いました。僕はBさんに会いに行きました。そのことを伝えたら「会う必要はない。テレビで頑張ればいい。恩を感じる必要はない」と。僕は違和感があったので「お金渡さないかんのか」と思った。Bさんは「あほなこというな。君も頑張ってほしい、心と心がつながっていたら会う必要はない」と。ヤンキーあがりの僕には心が響いた。でも、後悔はしてません。「あの人と付き合わなければよかった」と思ったら、僕は僕を嫌いになってしまいます。心の中ではそう思い続けました。それは、芸能界としてはすごくいかんこと。今後も付き合わないしメールもしません。でも、僕の心の中には感謝は持ってたいと思います。それは、人としての感謝です。

 -やりのこしたこと?

 島田

 未練はない。武田鉄矢さんが「山はてっぺんまで登ったらゆっくり下りないかん。それで初めて登山成功。上で終わったら、それはそれ」と。その言葉を胸に下山しようと思ったのですが。向こう側が崖で転げ落ちてしまった。それも僕らしいかなと。でも1回は、一瞬、半年ぐらいてっぺんに乗ったので、悔いはありません。半年乗ったことは、親友のさんまが確認してくれた。てっぺんに立った自覚はある。

 -今までも数々のトラブルがあった

 島田

 数々のトラブルはないと思いますが。若いときに、お客さんをどついたことがありました。6年前に、裁判まだされてるのであまり言えないんですけど「本当はどうやねん」という自分の思いはありますが、髪の毛引っ張ってつばかけたは事実ですから、それはいかんことです。いかんことと思ってやってましたから「引退」は思わなかった。吉本に言われる罪を受け止めたらいいと。でも、今回違うのは、僕の中では「つきあってない」。事実無根ばかりでした。カジノなんて1回もいったことないし。BさんからAさんを介して伝言はありました。「命かけてもいったことがない。そんなとこはいくような僕ではない」と。暴力団と組んで競売物件入札も、命をかけてもありません。もし、そんなことがあったら皆さんの前でハラを切ります。今回はセーフと思ってたことが大きな問題です。今回は完全、僕のミスです。これで、明日から一般人。静かに暮らさせてやってください。

 -今後は?

 島田

 役に立つ人になっていきたい。一緒に汗を、みんなに夢を与えていきたい。55歳。まだまだ生きるなと。自分なりに役立てることをしたい。沖縄のサンゴ支援もしてたし、世の中の役に立てたらいい。本日は、切腹のかいしゃくをしてくださってありがとうございました。