【2010年12月26日付・日刊スポーツ】

 シンガー・ソングライター植村花菜(27)。昨年までは無名に近い存在だったが、今年の大みそかの紅白歌合戦に初出場する。3年前に亡くなった祖母との思い出を歌った「トイレの神様」が、今春からラジオ番組などで紹介されると、徐々に世間に浸透し、“2010年最も泣ける曲”としてヒットしていった。紅白の大舞台では、9分52秒をほぼノーカットで歌うことになりそうだ。大舞台を直前に控えた心境を語ってもらった。

 「おはようーございます!」。初取材の時から早8カ月。いつ会っても、植村は、晴れ晴れした笑顔と、元気なあいさつを忘れない。ブレークしても、気さくさや親しみは、まったく変わらない。

 植村

 街で声を掛けられるようになったのは、秋ぐらいからです。初めての人は女子高生で、実家の兵庫県川西市の川西駅でした。母と出かけるときに、駅の改札機を詰まらせちゃって、あたふたしてるときに気づかれたんです(笑い)。

 今回の、インタビューした取材日の朝は、もっとおもしろかった。ギターを下げていたらタクシー運転手に話しかけられたという。

 植村

 「ギター弾けるなら、今はやりの『トイレの神様』みたいなの歌える?」って聞かれちゃいまして。ええ、私が歌ってますって答えたら、びっくり顔で後ろ振り向かれちゃいました。3秒ぐらい直視されたので「運転手さん、前!

 前!」って(笑い)。しかも「今朝は女房と、あの歌は、神様が正しいのか女神様が正しいのか、どっちだって、言い争いになっちゃったんだよ~」とまで、言われちゃいました。皆さんに聞いていただけてるんだなって、あらためて実感がわいてます。

 そうなのだ。ずっと気になっていた。歌詞では「トイレには女神様がいるんやで」と歌われているが、曲名は「トイレの神様」。なぜ違うのか?

 植村

 おばあちゃんは「女神様」って言ってたんです。でも、女神様って、何となくティアラとかつけてて仰々しそうなイメージじゃないですか~?

 もっと親しみある感じと思って、神様にしたんです。第一、女神様って舌かみそうじゃないですか。そこだけは直感でした、直感(笑い)。

 日本人はもちろん、上海万博のライブでは文化の違う中国人まで泣かせてきた「トイレの神様」。歌う植村の素顔は、関西出身のユーモアで朗らかで、ちょっと天然な“べっぴんさん”だ。

 05年にデビューしたが、昨年まではヒット作もなく、ほとんど無名に近い存在だった。

 植村

 昨年は、仕事も恋も家族も友達関係も、何もかも最悪な1年だったんです。ポジティブな性格の私でも、さすがにへこんでました。詞もしっくりくるものが書けない毎日。もう結婚して、音楽あきらめようかなって。そんな中で、これで売れなかったら最後と覚悟して作ったのが「トイレの神様」が収録されたミニアルバム「わたしのかけらたち」だったんです。

 歌いたいことをすべて出し切ろう。そう考えて、テーマを「自分のルーツ」と決めると、自然と頭に浮かんだのは、12年間の同居で育ててくれた祖母のことだった。詞は思い出をそのままに、メロディーは祖母の大好きだった「テネシーワルツ」のようにと制作した。

 植村

 ただ、この歌詞は鴨南ばん、五目並べ、新喜劇…。完成したときには、あまりに個人的なエピソードすぎて、みんなに伝わるとは思えなかったんです。ただただ、自分がおばあちゃんの歌を歌いたかっただけなんで、個人的すぎて申し訳な~いって思ってたんです。それが共感したって感想をたくさんもらうようになってびっくりでした。涙してもらうなんて、夢にも思わなかったです。

 2月ごろからラジオでフルコーラスで流され始めると、あれよあれよという間に、泣ける歌として認知度が広まっていった。

 植村

 少し極端な言い方かもしれませんが、エピソードって何でもいいのかもしれません。ちゃんと聴く人は、それぞれ自分の思い出に置き換えてくれる。大切なのは伝えたい思いであり、本当のことを飾らない言葉で歌うことなんですね。

 「トイレの神様」を書き、歌い、ヒットしたことで、学んだことがあるという。

 植村

 この曲ほど自分をさらけ出したのも、初めてでした。ところが、そこまで出すことによって、植村花菜にしか歌えないものができたんだと分かりました。私の中ではシンガー・ソングライターって、自分の人生を切り売りしていくことなんです。それって恥ずかしがったりすることでもなくて、すごくすてきなこと。今作ってる歌も、すごく個人的になってきてます。これからの先の道まで、明確に見えるようになりました。

 半生をつづった著書「トイレの神様」も、すでに22万部を超え、ベストセラーとなった。そこでも書かれている姿勢は「人生、楽しんだ者勝ち」。どんな苦境でも前向きさを失わないところだ。

 植村

 「トイレの神様」はおばあちゃんへの感謝の気持ち。私が歌っていけることって、そういう小さな幸せ、すぐそこの日常にある幸せなんだと思うんです。みんなが仕事の忙しさとか気持ちの余裕のなさで見落としがちなものに、気づいてもらうお手伝いをしたいなって。すごくインパクトのある歌とかじゃなくて、聴いてくれた人の背中をポンと押してあげられるような歌です。

 「トイレの神様」の根底にある思想は、古今東西、時代も問わない、普遍的なテーマだ。

 植村

 すごい衝撃で1カ月くらい聴き続けるような曲は出せないかもしれないけれど、ふとしたときに聴いても、何年後に聴いても色あせない音楽。いろんなタイプの歌手がいるけれど、私はそういうスタンダードなものを歌っていきたいです。子供のときに歌手になるって決めたときや、19歳でギターを持ったときの考えと、ずっと変わってないんです。聴いてくれた人が笑顔になってくれる、そういう人たちとつながっていける。分かりやすく、キャッチーなメロディーで、みんなを前向きにしていきたいっていうことです。

 著書の中では「当初は恋愛の歌ばかりを書いていた。恋愛をしていないと曲が書けないと悩んだこともあった。でも、書きたいものは人であり、家族であり、絆(きずな)だ。それがたぶん植村花菜が書けるテーマ」とつづっている。

 名声や成功、セレブになるといった願望は、みじんも感じられない。ギター1本で、好きな歌を歌い、聴いてくれる人がいれば幸せなのかもしれない。

 植村

 あとは「トイレの神様」にも出てきますけど、いい奥さんになって、幸せな家庭を作ることが夢ですよ(笑い)。そのときに子どもたちに胸を張れる、いいお母さんになるためにも、後ろ指さされないような生き方をしなくちゃいけませんよね。

 紅白歌合戦では、3年前に亡くなった祖母を呼ぶことはできないが、母をNHKホールに招待する。

 植村

 今月に入って、実家のおばあちゃんの仏壇にも、お墓にも手を合わせて、報告してきました。10分って貴重で長い時間ですよね。ただ、最初から最後まで歌詞が1つにつながっているので、切っちゃうと、つじつまが合えへんようになっちゃうんです。ホンマに申し訳ないことですけど、全部歌わせていただけたら、幸せです。

 記者はこの1年、上海や鎌倉・鶴岡八幡宮、神宮花火大会、東京や大阪のコンサート会場と、至るところで、本当に涙する観客を数多く目撃した。茶の間で紅白を家族で見る人らが、思わず聞き入る光景が浮かんでくる。

 植村

 むっちゃ緊張するやろなぁ~。

 27歳の関西弁のべっぴんさんが、日本中を静まりかえらせる瞬間まで、あと5日だ。