民放連会長を務め、テレビの地上デジタル化推進などに尽力した日本テレビ会長の氏家斉一郎(うじいえ・せいいちろう)氏が28日午前6時10分、多臓器不全のため都内の病院で死去した。84歳。東京都出身。【悼む】

 元新聞記者だからなのだろうか。自宅への夜回りは嫌がったが、自宅に電話すると必ず自らが出てくれた。政治情勢、放送行政ではなく、女子アナの冠婚葬祭であっても嫌がらずに語ってくれた。昨今、取材にあまり応じない放送局幹部が多いという話を耳にすると、会見でも常にユーモアとウイット、記者へのリップサービスを忘れない氏家さんを懐かしく思う。「兄弟分」と言う渡辺恒雄読売新聞グループ本社会長ほど前面には出なかったが、強い存在感が常にあった。

 00年代前半、個人情報保護法案がメディア規制法案だとして、ほとんどのマスコミが反対した。その後、主要新聞社のメディア担当記者が昼間、日本テレビにひそかに呼ばれ、懇談の場がつくられ、そこで、氏家さんの口から出てきたのは、メディアの選別だった。「プライバシーをことさらえぐる週刊誌を保護する必要はあるのだろうか」。その後の新法案の除外規定には放送、新聞は明示されたが、出版社は明記されず、善しあしは別として現在の情勢に至っている。

 政界への影響力も保った。これも渡辺会長の陰に隠れがちだが、自民党政権時代は、都内某所で、総選挙の開票を時の党幹部と見守っていた。小泉政権時代には、日本テレビが訪朝の同行取材を一時拒否されると「権力主義的なマスコミ抑圧的な思想がある」と歯に衣(きぬ)着せなかった。

 共産党への入党と脱党。だからではないが、戦後民主主義の基盤、自由と平等をことさら大事にした。バランス感覚を保った、実力を伴うオピニオンリーダーの喪失を残念に思う。【放送担当・竹村章】