上方落語協会会長の落語家桂三枝(67)が、来年7月に6代桂文枝を襲名することを11日、吉本興業が発表した。三枝は先代文枝の筆頭弟子。先代は、桂米朝(85)や桂春団治(81)、故6代目笑福亭松鶴さんとともに、戦後の上方落語を復興させた四天王の1人として知られ、05年に74歳で死去した。7年ぶりの大名跡復活となり、上方落語が盛り上がりそうだ。

 師匠が亡くなってから7年。20人近い先代直弟子の中でも筆頭だった三枝が、文枝を襲名することが正式に決まった。自身69歳の誕生日となる来年7月16日、大阪・なんばグランド花月を皮切りに襲名披露興行を行う。この日、三枝は「上方落語の大看板『文枝』の名に恥じぬよう、命がけで、一層の精進をしてまいります」とコメントした。

 襲名は、師匠への恩返しでもある。もともと、自分で育てた名前に誇りを持っていた三枝だが、師匠が亡くなり、一門をまとめる立場となったことから、芸の継承とともに、名前を継げるよう精進することも、弟子の重責だとする思いが強まっていた。

 先代文枝さんは派手さこそなかったものの、艶っぽい“はんなり”とした芸風で、色気のある高座が持ち味だった。落語に鳴り物、音曲を入れる「はめもの」を得意とし、上方落語の伝統芸として伝えてきた。

 戦後、没落していた上方落語を復興させたことでも知られ、6代目松鶴、米朝、春団治とともに「上方四天王」と呼ばれた。戦後、18人で始まった上方落語協会も、現在は230人を数えるが、その礎を築いた1人。今回、関西では「6代目」といえば松鶴さんであることから、三枝は「目」を付けず「6代文枝」を襲名する。それほど四天王の功績は大きい。

 三枝は、師匠を尊敬し、遺志を継ぐように、03年には上方落語協会会長に就任し、悲願だった定席「天満天神繁昌亭」を開設させている。個性や長所を伸ばす弟子の育成法も受け継ぎ、三枝もすでに10人以上の弟子を抱える。

 三枝は「(師匠は弟子に)好きなように、ええとこを伸ばしてくれた。それが一番いい」と語ったことがある。筆頭の立場でありながら、テレビタレントとして先にブレーク、古典に加え創作落語に没頭しつつも、芸を磨いてこられたことは、ひとえに師匠の懐の広さだと認識していた。

 天満天神繁昌亭の運営も定着。上方落語協会会長としての責務も一段落したことから、三枝も襲名を決意した。上方落語には東京の真打ち制度はなく、襲名は興行を盛り上げる最大の切り札。来年に創業100周年を迎える吉本興業にとって、文枝復活は大イベントとなる。