<復刻版:96年6月9日付の日刊スポーツ>【日曜日のヒーロー】

 梨園の若大将・中村勘九郎(41)がこのほど鹿児島の離島で「俊寛」の野外上演を成功させた。前日は大雨が降り、中止も覚悟したが「運を天に任せたら、いい天気。ほんと、オレって運がいいね」。次なるは夢は米ニューヨークのセントラルパークでのテント公演という勘九郎は「歌舞伎ブームというけど、まだまだだよ。スポーツ紙の1面を飾りたいんだ。不倫じゃなくて、歌舞伎のことでね。そうなれば本物」と、歌舞伎への熱い思いを語った。

 5月29日、鹿児島市から400キロ離れた硫黄島は、村の人口(150人)の5倍近い人出でにぎわった。勘九郎が父中村勘三郎(1988年=昭63=4月に死去)譲りの「俊寛」を島の海岸で野外上演した。硫黄島は平家打倒を企てた僧俊寛が流された地との伝承があり、1年前に俊寛像の除幕式に出席した勘九郎が同島での上演を熱望、実現に至った。

 「やる人、やらせてくれる人、そして見る人の三角関係がうまくいったんだね。役者だけ頑張っても、島の協力がないとダメだし、そして高いお金出して見に来てくれる人がいなけりゃね。一期一会というけど、ホント、いい経験でした。波も本物、断がいも本物、船も本物だけど、役者だけが偽物だった。前日は大雨で、中止も覚悟して運を天に任せたら、当日は早朝から晴天。夜まで天気がもってくれるように祈ったね。僕にとって日本で一番長い日だった。で、それから3日後に地震があったんだって。震度4で、津波警報も出たらしいけど、その日じゃなくて良かったよ。僕は死んでもやる気でいたけど、津波がきて、お客さんが波にさらわれたら、業務上過失致死になってたところだからね。運がいいね、オレって」。

 勘九郎は香川県琴平町にあった日本最古の小屋「金丸(かなまる)座」に注目し、中村吉右衛門らと「歌舞伎公演をやってほしい」と松竹幹部に直談判。それがきっかけで金丸座での「こんぴら歌舞伎」が始まり、現在まで12年間続き、すっかり春の琴平の恒例行事になっている。一昨年には渋谷シアターコクーンで「コクーン歌舞伎」として「東海道四谷怪談」を上演、本水を使っての立ち回りもあって大成功。今年9月には「夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)」の上演が決まっている。

 「歌舞伎って、自由で何でもありなんだよね。18歳の時、状況劇場を見て、これって歌舞伎じゃないかと思ったんだ。“李礼仙”って掛け声はかかるわ、宙乗りはあるわ、本水は使うわね。だから前々から、歌舞伎のテント公演をやってみたくてね。劇団四季が特設劇場で“キャッツ”をやった時は悔しかった。やられたってね。だから、米ニューヨークのセントラルパークでテント公演をやりたいと思っているんだ。歌舞伎をよくやるメトロポリタン・オペラハウスで古典のきっちりした歌舞伎をやり、テントではコクーン歌舞伎みたいなものをやる。これは受けるよ。もう一つ、面白い企画があるんだけど、書かないでくれる? じゃあ話そうかな、××××××(伏せ字)。ね、面白いでしょ。いつかは実現したい。かなわぬ夢っていうけど、夢は実現しなくちゃね。やりたいことをやるのが一番だもの」。

 歌舞伎ブームといわれたここ数年、坂東八十助(40)中村時蔵(41)中村福助(35)中村橋之助(30)ら30代から40代前半までの花形役者のリーダーとして勘九郎は毎月のように舞台、ドラマに奮演。ほとんど休む暇はなかった。そんな自分と支えてくれた家族へのご褒美として、6月中旬から1カ月半のロングバケーションに出る。イタリア、スペイン、スイス、フランスなどを回り「ボーッとしてくる」という。最初は好江夫人の両親である中村芝翫(しかん)夫婦と同行、その後、夫人と二人だけの旅行となり、最後に子供の勘太郎、七之助が合流。さらに途中、吉田日出子らも加わってフランス・アビニョン演劇祭も観劇する。

 「歌舞伎ブームというけど、まだまだだよ。娯楽の歌舞伎としては、スポーツ紙の1面を飾って初めて本物のブームだと思うんだ。もちろん、不倫とかじゃなくてね。ただ、これからの歌舞伎は難しいこともあるよね。例えば、おやじの時代はまだ上野のお山(公園)に瞽女(ごぜ=大道で三味線などを弾く盲目の女性)さんが居て“瞼(まぶた)の母”なんかの芝居の参考になったけど、今いるのはイラン人ばかりでしょ。イラン人の出てくる芝居なんかないものね。だから、もっと先には歌舞伎とか新劇とか映画とかテレビとかの垣根をはらってやっていかなくてはいけない時が来るだろうね」。話を聞いたのは、京都・太秦(うずまさ)にある松竹京都撮影所。テレビ東京の12時間ドラマ「大岡越前守」(市川団十郎主演、来年1月2日放送)で、浅野内匠頭(たくみのかみ)役で出演していた。松竹京都撮影所といえば、一昨年9月、勘九郎が12時間ドラマ「豊臣秀吉」を撮影していた時に、宮沢りえ(23)の自殺未遂騒動が起こり、急きょ会見したところでもある。

 「あの時はめちゃくちゃだったね。写真誌が撮影所に張っていて、僕がちゃんと正面から出ると言っているのに、“ウソでしょ”だって。そんなことでウソつかないよ。今でも、ワイドショーの取材となると、りえちゃんのことを聞かれるんだ。しつこいよね。やせた、やせたって騒いでロサンゼルスまで取材に行ったりするから、本人だっておかしくなっちゃうんだ。確かにいい友達だけど、不倫じゃないしね。ただ、記事なんかが出て困るのは、女房が見て疑うことだよね。ホント、何もないのに、それだけは勘弁してほしいね」。

 父勘三郎が亡くなって8年。いつ勘九郎が襲名するかが、注目の的でもある。そして、二人の子供も兄の勘太郎が昨年「スタンド・バイ・ミー」で現代劇に初挑戦し、今回の「俊寛」にも出演するなど頼もしい後継者ぶりを見せている。「子供には勉強やふだんのことでは何も言わない。ただ、芝居に関しては一生懸命やっているか、何か工夫しているかは厳しく言ってる。もちろん教えられたことをなぞってやるのも大事だけど、ロボットじゃないんだから、何か工夫がないとね。襲名のことはね、いつかは継がなくてはと思っているんだ。以前、冗談で子供に継がせて“こら、勘三郎の下手くそ”って言おうかなって話したら、おやじに怒られてね。継ぐとしても十三回忌、2000年以降になるでしょうね」。

 今年41歳。同年代の友達も多い。野田秀樹氏、渡辺えり子、郷ひろみ、春風亭小朝、球界の江川卓氏、掛布雅之氏ら。きょう9日に渡辺えり子の挙式・披露宴が行われるが、「仲人」役を引き受けた。

 「みんな元気だよね、共通しているのは、子供っぽさがあることかな。ただ、この間ショックだったことがあるんだ。名前も言いたくないけど、麻原彰晃。あいつも41歳で同じだってね、嫌だったね。野田とえり子には歌舞伎の台本を書いてって頼んでいるんだ。彼らが書いてくれたら、歌舞伎の幅も広がるしね。歌舞伎って、今の芝居だからね。僕もこれからも攻めの姿勢でいくつもり。守りには入らない。60、70になってもね」。人の気をそらさぬ座談の名手。収録の合間の慌ただしい取材だったが、時間のたつのも忘れた。仕事にも生きることにも一生懸命で、好奇心おう盛な勘九郎。21世紀には「18代目勘三郎」としてどんな舞台を見せるのか。同時代にその舞台を見ることのできる幸せを実感させてくれる旬の人である。【取材・林 尚之】◆中村勘九郎(なかむら・かんくろう) 本名・波野哲明(のりあき)。1955年(昭30)5月30日、東京生まれ。父は名優・中村勘三郎、母は6代目尾上菊五郎の長女・久枝さん。姉は新派女優の波乃久里子。59年に5代目勘九郎を名乗って「昔噺桃太郎」で初舞台を踏み、名子役として数々の舞台に立った。国学院大学中退後、舞台に専念、89年「鏡獅子」で芸術祭賞を受賞。芸域は広く、父譲りの「髪結新三」の新三、「俊寛」の俊寛、「四谷怪談」のお岩などがある。また歌舞伎以外の出演も積極的で、「オセロー」のイヤゴー、井上ひさしの「藪原検校」の杉の市をはじめ舞台、映画、テレビなど数多い。80年に名女形中村芝翫の次女好江さんと結婚。二人の子供は中村勘太郎、七之助を名乗って、歌舞伎役者の道を歩んでいる。屋号は「中村屋」。身長165センチ。血液型O。野球は大の巨人、長嶋監督ファン。