南海キャンディーズのしずちゃんこと山崎静代(34)が、亡き恩師の魂を受け継いでリオデジャネイロ五輪出場を誓った。28日、東京・芝公園の増上寺で行われたボクシングトレーナー梅津正彦(うめつ・まさひこ)さん(享年44)の通夜に出席。ボクシングの専属コーチとして2008年(平20)から二人三脚でロンドン五輪出場を目指し、今月23日に悪性黒色腫で死去した梅津さんに恩返しするべく、「五輪に出る」と涙で宣言した。

 こらえきれなかった。参列後、取材陣の前に姿を現した山崎は頭を下げ、気丈に振る舞ったが、すぐに言葉に詰まった。「もうやはり、悲しくて、仕方ない…」。

 08年、テレビドラマで女子ボクサー役を演じた山崎の技術指導をしたのがきっかけで、師弟関係がスタートした。ボクシングの魅力にのめり込んだ山崎が、本気でロンドン五輪出場を目指すことを決意し、個人トレーナーを依頼。基礎からたたき込まれ、昨年5月の世界選手権では五輪出場獲得はならずも、初戦に勝って8強進出するまでの実力をつけた。「梅津さんと出会っていなかったら、ボクシングもしてなかったし、オリンピックも目指してなかった。それまで、生ぬるく生きていた私の精神を鍛えてくれました」。

 あまりの厳しさに嫌いになりそうなこともあったが、梅津さんが11年に病気を発症してからも指導を受け続けた。「厳しい言葉にも愛情があることが分かったから」。まさに自分を変えてくれた存在だった。

 もう、そんな愛のある指導を受けることはできない。だが、山崎は梅津さんが亡くなる前日に「生きたい!」と訴えていたことを明かし、その無念さをはらすべく決意を語った。「私の体の9割は梅津さんでできています。これからは、私の中にいる梅津さんと一緒に戦っていきたい。魂を受け継いで一生懸命やっていきたいです」。16年リオデジャネイロ五輪出場を目指す誓いの言葉だった。

 ロンドン五輪の夢が絶たれた後は、「34歳」の出場年齢制限が定められていたが、今年4月9日には、国際アマチュアボクシング連盟(AIBA)がルールを改正し、選手の年齢制限の上限が40歳に引き上げられ、山崎にも希望が見えてきた。「オリンピックに出るというのが一緒の夢でした。出場を決めることが、梅津さんの夢をかなえることにもなるので、頑張りたいです。梅津さんは『しずは、鈍くさいから、勝てるんだ。鈍くさいから、何度も練習する。だから強くなれるんだ』といつも言ってくれましたから」。恩師の金言を胸に、新たな挑戦の幕が開けた。【横山慧】