西日本豪雨で大きな被害が出た岡山県倉敷市真備町地区では14日、50人が死亡し、3人が行方不明となっている。ほとんどの地域で水は引いたが、道路には災害ゴミがあふれ、車が通ると砂ぼこりが上がる。そんな中、田んぼに流れたゴミを必死に拾う85歳の女性(Aさん)に話を聞いた。

 はだしになって、田んぼに足を踏み入れる。Aさんは膝下まで土に埋まりながら、ゆっくりと1歩1歩、進んだ。豪雨で流れ込んだ段ボールや衣類、野球のグラブなどを丁寧に拾い、何度も往復した。強い日差しが照りつける中、黙々と作業を続ける。「この田んぼがなくなってしまうのは寂しい。もう1度使えるようにしたいんです」。

 思い出が詰まっている。Aさんは生まれも育ちも真備町地区。父の代から約90年受け継いできたこの田んぼは、家族の宝物だった。「小さい頃は、学校から帰ると手押しの除草機で手伝いをした。3人の息子が生まれてからは、並んで田植えする姿を見るのが好きだった。ずっと面倒を見てきた場所なのに…」。田んぼの面積は1反(約993平方メートル=約300坪)ほど。出荷はしていないが、家族で食べるには十分な量を毎年収穫できた。自分たちが育てた米を、みんなで食べるのが楽しみだった。

 20年前に夫が亡くなってからは、同居する会社員の長男が主に田んぼを管理してきた。今回の豪雨で、Aさんらが住む高台の家は浸水を免れたが、200メートルほどの距離にある次男の家は全壊。隣にある、トラクターやコンバインを置いた倉庫も水につかってしまった。長男は「母さんには悪いが、現実的には(田植えの継続は)厳しいだろう」。機械の買い替えには、数百万円が必要。次男宅の修繕にも時間とお金がかかる。息子3人はそれぞれ仕事を持ち、田んぼの再生だけに労力はかけられない。

 この日、倉敷市は最高気温34・9度を記録。今年1番の暑さだった。Aさんは、長男から「暑さで倒れたら困るから、家にいろ」と言われているが、1人で必死にごみ拾いを続けている。「正直、『もうだめだろうな』とは分かっている。ただ、少しでもできることをしたいんです」。小声でつぶやいた。【太田皐介】