故郷茨城・水戸市を流れる那珂川が10日の豪雨で増水し、河川敷にあるJ2水戸の練習場が冠水した。この場所に、かつて自分が少年団時代にプレーした水府グラウンドがあった。当時、芝はなく、雑草交じりの土のピッチだった。漫画「キャプテン翼」に影響され、小3から小6まで、練習や試合で、何度も使った。

 現在は北海道で働いている。実家には正月に帰省するぐらいで、この場所に、Jクラブの練習場があることを知らなかった。豪雨のニュースで心配になり、どこにあるのかと地図を見ていたら…あそこだ…と、懐かしくなった。

 そのグラウンドで行った小3最初の公式戦は、同点でPK戦に突入。PK戦のやり方を知らなかった我々は全員、待機していたハーフウエーラインから助走を開始した。かなり走り、ボール手前で歩幅が合わなくなり、つまずきそうになりながらシュート。結局、誰も成功せずに敗れ、試合後2歳上の兄に、ひどく笑われたのを覚えている。サッカーは、情けない初陣に始まり中学まで続けたが、華々しく勝った記憶は少ない。特に少年団時代は勝ち方が、よく分からなかった。

 担当するJ2札幌が、12日の横浜FC戦で2-0と快勝した。13試合、90日ぶりの白星だった。決勝アシストの小野にとっては昨年7月の加入から1年2カ月たってのホーム初白星で「これまで期待に応えられなかった。これをきっかけに札幌、北海道の人が、また来てくれるようになれば」と感慨深げに振り返った。

 今季、札幌は小野の負傷離脱もあり、31戦でリーグ最多の14引き分け。ぎりぎりで勝ち点1を拾ったというより、むしろ内容で上回りながら勝ちきれない試合が続いていた。「まだ1試合だし、続けないと意味がない。次の試合もしっかり準備したい」。その表情は、満面の笑みではなかったが、1つ結果が出たという充足感は、感じ取れた。

 3月に手術した左膝の状態も、6日の天皇杯2回戦(横浜FC戦)で今季最長の先発76分プレーするなど、徐々に上向いてきた。昨年は8月末に負傷して3カ月離脱。昇格争いに貢献できなかった分、リベンジへの思いは強い。

 27日には36歳になる。J1、天皇杯を制し、UEFA杯王者となり、オーストラリアでは参入初年度のウエスタンシドニーをレギュラーシーズン優勝に導いた。世界で勝ってきたベテランの復活。残り11戦でプレーオフ(PO)圏6位との勝ち点7差は、逆転不可能な数字ではない。全盛期を過ぎても、勝ち方を知る天才のタクトは、大きな武器。シーズンは残り3カ月。札幌の44番の好不調が、この秋、J1昇格争いのカギを握りそうだ。【永野高輔】


 ◆永野高輔(ながの・たかすけ)1973年(昭48)7月24日、茨城県水戸市生まれ。小5からフェンシングを始め、競技歴15年。00年富山国体出場。小5で、85年つくば科学万博の開会式に出演。09年から札幌担当。