48年ぶりとなるメダル獲得へ、手倉森ジャパンが試練に直面している。8月のリオデジャネイロ五輪に出場するU-23(23歳以下)日本代表に、この数カ月、負傷者が続出。1月のアジア最終予選を突破した後、同予選メンバーに次々と災難が降りかかった。以下は現在の負傷者と診断名、全治の見通しと復帰時期だ。

 ▼DF松原健(新潟) 右膝半月板損傷、全治3カ月、6月下旬。

 ▼FW鈴木武蔵(新潟) 左大腿(だいたい)四頭筋肉離れ、全治3カ月、6月上旬。

 ▼DF室屋成(東京) 左第5中足骨骨折、全治3カ月、6月中旬。

 ▼MF中島翔哉(東京) 右膝内側側副靱帯(じんたい)損傷、全治5~6週間、6月中旬。

 ▼DF山中亮輔(柏) 右大腿二頭筋肉離れ、全治3週間、6月上旬。

 ▼DF奈良竜樹(東京) 左脛骨(けいこつ)骨折、全治4カ月、9月上旬。

 ▼MF豊川雄太(岡山) 負傷箇所を公表せず。近日中に復帰の見通し。

 ▼FW久保裕也(ヤングボーイズ) 負傷箇所を公表せず。復帰時期未定。

 FW浅野拓磨(広島)は左足足底筋膜炎、右腸腰筋損傷で3、4月の代表活動に参加できなかった。浅野のように既に復帰した選手も合わせれば、最終予選メンバー23人のうち、実に12人が大けがを負っている。

 この世代は、常に負傷とメンバー変更がつきまとってきた。手倉森ジャパンの初陣、14年1月のU-22アジア選手権(オマーン)ではMF遠藤航(当時湘南)とMF大島僚太(川崎F)が辞退。最終予選3週間前にはMF野津田岳人(新潟)が右膝の内側側副靱帯を損傷し、出場を断念した。

 その中で今月14日、ついに悲運の「第1号」が。奈良の左脛骨骨折。初めて五輪絶望となった選手が出てしまった。夢舞台を目標に鍛錬してきた22歳にとっては、辛すぎる現実だろう。

 過去の五輪代表も負傷禍の歴史があった。96年のアトランタ大会では、最終予選前にエースFW小倉隆史が右足後十字靭帯を断裂。「マイアミの奇跡」を起こした五輪に出場するどころか、完全復活まで2年半もの時間を要した。08年北京大会では、MF家長昭博が五輪を逃した。同年2月の練習中に右膝前十字靱帯を損傷し、全治6カ月。2次予選、最終予選で12試合中9試合に出ていた主力だった。負傷ではないが、オーバーエージ(OA)枠での選出が内定していたMF遠藤保仁もウイルス感染症で出場を諦めている。12年ロンドン大会はMF山田直輝が左膝前十字靱帯を損傷し、五輪への道を断たれた。

 ただ、後ろ向きな歴史ばかりではない。北京大会ではFW豊田陽平が復活を遂げた。4月に右足の腓骨(ひこつ)を骨折。強化合宿や国際試合に参加できないため、一時は五輪が絶望視されていた。しかし、懸命なリハビリが実って代表に滑り込み、8月の1次リーグ全3試合に出場。ナイジェリア戦で、この大会チーム唯一のゴールを決めた。

 手倉森誠監督(48)は「戦う仲間(チーム)には必ず縁がある。俺は、けが人を諦めているわけではない」と話す。現在、健全なメンバーを率いてトゥーロン国際(フランス)に出場中。奈良以外は、数字上は本大会に間に合う。同監督は「果たして誰が戻ってくるのだろう。そんな期待感も自分の中にはある」とも言った。リハビリ明けの選手は、最高の状態で戻ってくることも多い。現在、好調の野津田のように、最終予選の悔しさを糧に力を発揮する選手もいるだろう。「縁と浮世は末を待て」のことわざ通り、良縁と好機は自然に訪れるのを待つしかない。7月上旬に発表予定の本大会メンバーは18人。話題のOA枠も含め、どんな物語が待っているのか。丁寧に追いかけたい。


 ◆木下淳(きのした・じゅん)1980年(昭55)9月7日、長野県飯田市生まれ。早大4年時にアメフットの甲子園ボウル出場を果たすが、2年時に後十字靱帯を断裂(全治3カ月超)した影響? で輝けず。04年入社。文化社会部、東北総局、整理部を経てスポーツ部。鹿島、U-23日本代表担当。現在はトゥーロン国際を取材中。南フランス出張は、文化社会部時代の08年カンヌ映画祭以来。