【フランクフルト(ドイツ)17日(日本時間18日)=中野吉之伴】MF沢穂希(32=INAC)が、日本サッカー界の夢を成し遂げた。女子W杯ドイツ大会決勝で、なでしこジャパンはFIFA(国際サッカー連盟)ランク1位の米国をPK戦の末破り、FIFA主催大会で男女を通じ史上初の優勝という快挙を達成した。試合はなでしこジャパンが2度先行され追い付く死闘となった。沢は1-2と勝ち越された延長後半12分、起死回生の同点弾を、右足アウトサイドで芸術的に決め、土壇場でチームを救った。今大会5得点で得点王、最優秀選手にも輝き、世界の沢の実力を存分に示した。5大会連続出場の精神的支柱は、最後までなでしこジャパンをけん引し、日本サッカー界に金字塔を打ち立てた。

 「サッカーの神様はいましたね。もう最高です。金メダルを持って、日本に帰ります」。ワールドカップを掲げ、金色の紙吹雪が舞う中、世界一になった沢は言った。涙はない。ニッコリほほ笑む顔に、もう試合中の必死な形相はかけらもない。15歳から18年間、なでしこジャパンとして、日の丸を背負い続けた沢の思いは実った。W杯決勝の大舞台で、強敵米国に2度追い付き、PK戦で下すドラマチックな結末で、夢は見事に花開いた。

 残り3分。1点を追い、もう後がない延長後半12分。宮間が蹴る左CKに、沢は迷わずニアに走り込む。「宮間がニアに蹴ると言ったので、じゃあ、私が行くねって言った」。DFビューラーが背中から迫る。沢はトップスピードで走り込み、ここしかないというピンポイントに飛び込み、右のアウトサイドで押し込むように、絶妙のタッチでプッシュ。ボールはFWワンバックの体にあたり、名手GKソロの手をすり抜けた。ワンバックは試合後につぶやく。「特に試合後半は何かが彼女たちを後押ししていたように見えた」。今大会5得点目。男女日本代表歴代1位の80得点が、世界一への扉をこじ開けた。

 沢 みんなが最後まで諦めずに走り続けた結果が、あの点だった。本当に自分の18年間はすごい道のりでしたし、厳しいこともたくさんありましたけど、本当にやり続けて良かったと思う。その思いは誰よりも強いと思いますけど…、その苦しい時代も知っているだけに。なんか、今もよく分からないです…。

 延長前半にエースFWワンバックに2点目を奪われ、精神的にギリギリまで追い詰められていた。土壇場でのスーパーゴールの価値は高い。昨年9月のU-17(17歳以下)女子W杯韓国戦、日本代表FW横山久美の5人抜きゴールが最優秀ゴール賞(プスカシュ賞)にノミネートされており、この日、沢の神懸かり的な芸術ゴールは、今季同賞候補入りは間違いない。

 神懸かり、沢を支えてくれた人々の力が、土壇場で沢を助けた。沢がどうしてもメダルを墓前に届けたい祖父山口鶴吉さん(享年85)の存在が、少女時代の沢にとって何よりも大きかった。

 93年9月6日、祖父は安らかに息を引き取った。当時読売ベレーザ(現日テレ)に所属していた沢は、前日まで静岡の清水市長杯に備え静岡合宿中。母満壽子(まいこ)さんは、祖父の危篤状態を伝えず、監督には大会後に沢に伝えてほしいとお願いをした。

 大会を終え、危篤を知った沢は鶴吉さんの元へ急いだ。必死に、ようやく駆けつけると、鶴吉さんの手を握りしめる。沢をかわいがってくれた鶴吉さんは意識がない中、かわいい孫の手のぬくもりを感じた。大事な孫を待ち続けたその老体は、最後の力を振り絞り、再会を喜ぶようにその手を握り返したが、やがて少しずつ弱くなり、鶴吉さんの命は尽きた。沢の15回目の誕生日だった。

 それは鶴吉さんの希望でもあった。「父は穂希のサッカーを応援してくれていました。明治生まれで頑固だし、途中で投げ出すのは大嫌いな人。穂希に似ているところが多かった」。満壽子さんはそう振り返った。

 沢にとって鶴吉さんは幼少期から心のオアシスだった。丸刈り頭で、軍服のような服装で威厳を放つ。あまり多くを語らない存在も、沢は当時埼玉県蕨市にあった祖父宅に出向くと、その膝の上にちょこんと腰掛けた。沢だけの特等席だった。戦前生まれでサッカーよりも相撲を好み、応援にくることはほとんどなかったが、沢は必ず鶴吉さんに試合結果を報告した。その都度、ほおを緩める鶴吉さんの表情は、家族中を和ませた。

 沢は毎日外出する際には仏壇に手を合わせ、鶴吉さんを思う。今大会直前は日程が合わず秩父にある墓参りはできなかったが、満壽子さんに代役を頼んだ。満壽子さんは初戦前日、沢の思いを届けに祖父の前でひたすら拝んだ。「穂希に金メダルを取らせてあげて」。沢は帰国後、念願だった一番輝くメダルを真っ先に墓前にささげる。

 「夢は見るものではなくかなえるもの」。家族に支えられ、自分で自分を磨いてここまで来た。かなえた夢は、素晴らしい至福の瞬間を沢にもたらした。

 沢 正直予想してないです。もちろんメダルを目標にやってきましたけど、優勝して得点王もそうですし、MVPもいただいて。何かよく分からないです。でもこれはチームメートもそうですし、監督もそうですし、みんなで取ったと思います。日本からもたくさんの声援があったおかげというか、そういう声援があったことで自分も励まされましたし、いろんなパワーをもらった。

 今大会、なでしこジャパンは並みいる強豪、宿敵、難敵をことごとくたたいて勝ち進んできた。過去8戦勝ちなしのドイツを1-0、ランキング5位スウェーデンを逆転で下し、最後に過去24試合勝ちなしの難敵中の難敵米国から、大金星を挙げた。堂々の世界一。誰もが認め、沢を中心とした、よく走り、よくつなぎ、よく攻めるサッカーを世界中のサッカーファンが支持した。

 女王なでしこは、今度は追われる立場になる。

 沢 本当に今後のハードルが上がるな、っていうのはあるんです。自分自身は18年間代表やってきて、厳しい時代も見てますし、ここに来るまで道のりは長かったなって思います。でも、こうやって自分が好きなことをやって、たくさんの人が笑顔になってくれたり応援してくれたり、そういうのはすごくうれしい。今後もっともっと女の子がサッカーをやる環境もそうですけど。やってくれたらいいなって思います。

 沢の一番の願いは日本女子サッカー人口の増加。今後は24日になでしこリーグが再開する。9月1日からは中国でロンドン五輪最終予選が始まる。神風のような活躍をしたなでしこに休養の時間は与えられない。それでも、不遇を乗り越えてきた沢たちに不満や、不平は一切ない。

 沢 本当に休む暇もなく、今週リーグ戦もありますし、難しいですけど、気持ちを切り替えて今度はリーグ優勝を目指してやりたい。それに、五輪最終予選もありますから。今回、この大会を通して本当にコンディションが大事だなってすごく思った。今度はもっとハードな中1、2日なので、しっかりコンディションづくりをして、ロンドンへの切符をみんなで取りたいです。

 沢への関心は最高潮に達し、海外メディアの質問は沢に集中した。佐々木監督もその盛り上がりに圧倒された。「沢はまだやるのか、ということを聞かれるのですが、ご覧の通り、この選手は走ってよし、守備でよし、攻撃でよし。こういう選手はまだまだ引退の域にはないと思います」。

 ただし、さすがの鉄の女・沢も、偉業を成し遂げ、試合直後は安堵(あんど)感から、佐々木監督に本音とも冗談ともつかない気持ちを明かしていた。佐々木監督は「さっき(沢が)ちょろっと『もう(頂点まで)行きすぎちゃって、これであれなのかな』と言ってましたが、『ふざけるな、まだ日本代表としてやってもらわないと困る』と言っておきました」と、会話の一端を披露した。

 沢は帰国する。金メダルを下げ、誇らしげに、そして笑顔で日本の地に降り立つ。日本は4カ月前から始まった国難の中にある。いまだに、将来に見通しが立たず苦しむ国民は数え切れない。それでも、スポーツで世界の強敵を相手に戦うその彼女たちの姿は、何よりの力となった。

 準々決勝のドイツ戦前、チームは大震災のありのままをビデオでその目に焼き付けて会場に入った。純粋に相手に勝つため、自分たちの力を発揮するために戦った沢たちは、同時に国民のために戦っていた。熱い3週間は全力で燃えに燃えて終わった。

 沢 日本のみなさん、応援ありがとうございました。楽しかったです。今日は勝負としてやりましたし、金メダルしか想像できなかったんですけど、まずは楽しむっていうのが一番自分の中であったので、本当に楽しかったです

 目標を掲げ、女子サッカーへの低評価という困難を乗り越えて、世界と戦った。力を維持し、努力を継続し、機が熟した時、なでしこは世界のトップに勝った。日本中を喜ばせる結果を実力で勝ち取った。沢は身をもって教えてくれた。日本人はやればできる。日本の女性、なでしこが世界一に輝き、沢穂希が世界一の女子サッカー選手になった。たどり着いたそのプロセスは、栄光の道のりになった。

(2011年7月19日付日刊スポーツより)