【ペニシェ(ポルトガル)22日=木下淳】欧州遠征に出発したU-23(23歳以下)日本代表が、経由地ドイツで足止めを食らった。フランスで航空管制官がストライキを起こし、欧州各国の空の便に遅延や運休が続出。搭乗予定だったリスボンへの乗り継ぎ便が欠航となり、手倉森誠監督(48)と選手20人は2日連続の待機泊を余儀なくされた。当地での初練習はFW久保裕也(22)と初招集のDFファンウェルメスケルケン際(21)だけで行われた。

 ペニシェでの初練習に参加できたのは、選手22人中2人だけだった。用具も届かず、ジャージーの色はスタッフ用の緑。池辺主務から借りた久保とファンウェルメスケルケンは、コーチ陣相手のパス回しなどで最低限の汗を流した。ボールも地元クラブから調達したもの。大西洋沿いの港町は快晴に恵まれたが、選手2人をスタッフ6人が見守る異例の光景が広がった。リオ五輪出場を決めた後、最初の活動に水を差された。

 初招集のファンウェルメスケルケンは、記念すべき代表初日に青色ジャージーをまとえなかった。「服の色とかコーチの方が多い状況とか、違和感ありましたね」と苦笑い。前夜はチーム宿舎での食事もキャンセルになったため、ポルトガル料理店で“歓迎会”が開かれ、久保と一部スタッフには自己紹介できた。本隊とも「基本的には誰とも面識がないので自分のことを知ってもらいたい」と楽しみにしていたが、2日連続で会えずじまいだった。

 フランスで20日から22日まで行われた航空管制ストに巻き込まれたチームは、乗り継ぎ予定だったフランクフルト発リスボン行きの便がまず欠航となった。21日正午すぎに成田空港を出て20時間後には宿舎まで着いていたはず。それが、ストの混乱が収まらない22日も直行便を確保できなかった。結局リスボンとは反対方向のベルリンで、もう1泊。手倉森監督と選手20人は22日夕方にようやく、フランクフルト空港のホテルでの“軟禁”を解かれた。

 オーストリア・ザルツブルクから単独でリスボンに向かう航空券を持っていたMF南野だけは、この日のうちに到着できる便に搭乗できた。ただ、ブリュッセルで起きた同時テロの影響で、ドイツ連邦警察は同国内の空港や駅の警戒を強めると、DPA通信が伝えている。影響は近隣国に広がっており、チームのベルリン発の便も定刻通りに飛べるか分からない。事態は極めて流動的になっている。

<手倉森ジャパンが見舞われた移動トラブル>

 ▼仁川アジア大会(14年9月) 東京・羽田空港から韓国・ソウルの金浦空港に向かう便が運航トラブルで約2時間40分、遅延。

 ▼タイ遠征(14年12月) バンコク行き便のエンジン部品不良が見つかり、離陸予定を2時間ほど過ぎたところで欠航に。移動した千葉・成田空港でも機体到着が遅れ1時間の遅延。

 ▼バングラデシュ遠征(14年12月) 同国に入る日が「戦勝記念日」という祝日だったため首都ダッカ行きの便が約40分間、遅延。空港での通関と練習場への渋滞も重なり、日没までの約1時間しか練習できなくなった。